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今日のひとりごと


←前月 1日 年が明けた/紅白歌合戦/フィギュアの見納めを新年に観る 次月→
2日 雨に煙る新年2日目/「格付けチェック」で分かったこと
3日 初詣/駅伝
4日 天気でよかった第4日
5日 町歩き・西宮/事件報道と理由づけ
6日 年始?
7日 思いついて運動になる
8日 長い冬休みの最後の日
9日 仕事始め
10日 テレビのこといろいろ
11日 テレビは面白くないので読書にいそしむわが家
14日 「とても怖いことをテレビはやっている」/いつのまにか変更されたCD−RWの「仕様」
15日 仕様がどうのこうのと言ってる間に
16日 思い違い・忘れ物
17日 12年目/「とくダネ!」
18日 湯たんぽ/WindowsUpdateの変な感じ
19日 モーツァルト気分
20日 信頼で成り立っていること/ふたたびのUSJ
21日 くもり
22日 電車のマナー
23日 電車のマナーその2/マイクロソフトアプリケーションの互換性
25日 教育法案
26日 一回り
28日 ゆうパック/成人ということ
29日 近頃の更新
30日 帽子
31日 1月の終わり

1月1日(月)

年が明けた

朝からたっぷり睡眠を取って(つまりは起きるのが遅かったということ)、そのあとはだらだらと大晦日の特番テレビを色々観て(クイズ紳介くんVS探偵ナイトスクープは面白かった。関西に住んでてよかった)、年末の買い物にいって(サンディは野菜が安かった。売りきりたいのだろうなあ。三が日は休みだから)、夜は紅白歌合戦を観ながら、テレビ画面にツッコミを入れたり、去年より楽しいなあと思ってみたり、徳永英明の歌に不覚にも涙したりしながら、それをパソコンにテキスト入力していって、さっきブログに上げたところ。

なんてことをしているうちに年が明けた。現在午前2時前です。
本来ならこれは「12月31日」として上げる時間なのだけれど、新年ということやからなあ。なんとなく1月1日に入れてしまったのだ。
気が向いたら、この続きを書く、かも。


紅白歌合戦

というわけで、本当の1月1日の終わりに。
去年の(というとややこしいけれど、つまりは今回の)紅白歌合戦は、前評判は高くなかったけれど、なかなか見ごたえがあった。
毎年レコード大賞とダブっていて、まあレコ大にはあんまり興味はないんだけれど、何となく気になって、チャンネルを変えつつ観てしまうということがあったんだけれど、今年はレコ大が一日ずれて前日になったせいで、ゆっくりたっぷりどっぷりと紅白を楽しんだのだった。

レコ大をずらした効果は意外にも歌い手にも表れていて。例年なら主だった歌手はみんなクタクタになっていて、声の調子もギリギリで「気力で歌っています」という状態の時も多いのだけれど、今年は時間をかけてリハーサルとかウォーミングアップとかも出来たのではないかなあ。去年より「ひいはあ」いってる人が少なかったような気がした。

今年の司会、最初「中居正広」という発表を聞いたときは、大丈夫かなあと思ったのだが、これが思いのほか、というか今まで歴代の司会の中でも(僕が知ってるだけのことやけど)とってもよかった。去年のみのとは比べるべくもないって感じ。
なにしろ歌い手のことを、歌のことをいちばんに考えている。余裕を持って、時間が空いても黙っていられる。これ、大事。
とにかく黙ってる時間があったらダメと思って、余計なことばっかりしゃべっていたみのもんたとは全く違って、演奏の終わったあとの余韻を楽しむくらいの余裕まで感じられた。というか、歌い終わって伴奏も消えて拍手があって収まって、というところまで口を挟まずに居られる勇気。コレ、大事。中居くんは心得てたねえ。

仲間由紀恵も、それに合わせたかのように余裕が見えてよかった。ふたりとも、ホンマは緊張してたんやろうけど、とても落ち着いて見えたよ。いやあ気持ちよかった。

今年は紅白を観ながら、コタツの上にノートパソコンを置いて(コタツに入って家族みんなで観るっていうのが紅白の定番でしょう)、その場で思いついたことをテキストに打っていって、後でブログに上げたのだった。
毎年、あれはどうだったっけとか、さっき面白かったことは何だったかってことを忘れてしまって、終わった後にさて何が面白かったんやったかなあ、と考えてしまうので、その場で記録していったらどうなるかやってみたのだ。
そしてそのままブログに上げてしまったら、ブログのカウンターがいつもの10倍ぐらいになってしまった。
まあ、元が毎日一桁のカウントしかないから、大騒ぎすることでもないけどね。
ぶたこの分析では、題名に「紅白歌合戦速報」なんていうのをつけたから、気になる人が検索して引っかかってるだけだろうということだ。それ、合ってるような気がする。

ですので、紅白を観ながら何を考えていたかは、ブログを参照してください。

今年、いちばん感動したのは徳永英明。おじさんはもう泣いちゃいましたよ。ああいう「青春のせつなさを歌う」歌にはどうも弱いのだなあ。そして徳永英明じしんがとてもよかった。
そして、見直したのが北島三郎。あんまり好きな方ではないのだけれど(演歌なんかあんまり聞かないし、北島ファミリーというのもどこかうさん臭い)。
トリの「まつり」もよかったけれど、なにより驚いたのはDJ OZMAの(ヌードのボディスーツで物議を醸している演出だ)ステージの最後に、早変わりで突然出てきたところだ。
普通は演歌の大物が、しかも紅白のトリをとるような人が、今回初出場の、どちらかといえばイロモノの歌手のステージに協力なんかしないもんだ。
それを(もちろん頼まれてだろうけれど)あえてやって、しかも嫌な顔ひとつしないところがすごいと思った。演歌のオヤジが「トンでるオヤジ」になってしまったようだった。
そんな人がトリで歌ったら、もう老いも若きもノラなしゃあない。ってなことで、SMAPがいつも以上にノリノリになっていたのには思わず
「どうしたんだ?」
と言ってしまったよ。

ともかくも、今年は(おっと去年は)例年になく楽しい紅白やった。見逃した人、残念でしたね。


フィギュアの見納めを新年に観る

紅白の裏番組で放送していた「メダリスト・オン・アイス」は、録画しておいて、さっき見終わった。
去年活躍したフィギュアスケートの男子、女子を集めたアイスショー。フィギュア人気を見込んでこの時に放送にしたんだろうけれど、まあ録画でよかったと思うようなものやったな。

いやいや選手ひとりひとりひとつひとつの演技には満足なんですけどね。ワタクシ一押しの武田奈也も放送してくれたし(^◎^)。
でもねえ、なんでタッキー&翼がキャスターで来てるわけ?今までフィギュアを見たことアルの?
ほんでCMが多すぎ。なにかというと去年のVTR。それも浅田真央、安藤美姫。もういいかげんにして欲しいなあ。ひとりが滑り終わって、さて次の人、と思ったらVTR。でVTR終わりで次が始まるかと思ったらまたCMやもんなあ。まあそういうところは全部早回し早回し。
そして内田恭子アナ。インタビューへた。というか、なんかとんちんかんなことばっかり聞いてる。台本にある質問しかでけへんみたいやったな。実につまらん。そんなことならインタビューの時間をなくして、放送でけへんかった人の分も放送できたのに。まあ今回肩の故障で滑れなかった安藤美姫にしゃべってもらうっていうのは、ファンサービスとしてわからんでもないけど。他のインタビューは、なかってもよかったと思うなあ。
スケートそのものがとてもいい感じやったからね。ささ早回し早回し。

そうそう、生のオーケストラで滑るっていうのも、とっても面白かった。迫力もあったし、なにしろ音楽と演技がぴったりと合ったときの気持ちよさ。
選手の演技をしっかり見ながら指揮していた金聖響さん、エライっ!

オケのついでにいうと、スケートには関係ないけれど、ボレロを歌っていた岡本さん、あれ、ドイツ語の歌詞だったのですね。ボーカリーゼやとばっかり思ってた。
もうちょっと歌詞と音程をしっかりしてほしいなあ。

それにしても、高橋大輔のアンコールはすごかったなあ。最後のストレートラインの往復なんか、もうテレビの前でぐあ〜ぎゃあ〜と叫んでしまったよ。
というようなことをインタビューで聞けないアナはやっぱりダメなのだ。


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1月2日(火)

「映画の部屋」を更新

雨に煙る新年2日目

紅白の視聴率は前年に比べて大幅に下がったらしい。そうかあ、みんな見どころがないと思っていたんだねえ。あんなに面白かったのに。
へんやなあ。僕が面白いなあと思うものは世間一般の好みとはかけ離れているみたいや。いや変なのは自分かも、という自覚があることはアルねんけどね。

あれは何年前になるやろう、高倉健主演の「鉄道員」を見に行って、これは今まで見た日本映画の中でも、いや外国映画を含めてもワースト10には入るよなあと思っていたら、その年の日本アカデミー賞を受賞して、ああああ、僕の感覚はおかしいんだあと自覚したんだった。
それ以来自覚している。自分の感覚はおかしいんだと(^◎^;)。
でもまあ、自分は自分なのでどうしようもないのですな。だから他人と意見が違おうと、自分の感覚を信じるしかないのであるな。これは今年も、たぶんこれからもずっと変わらないであろうなあ。

今日はぶたことぶたこのおかあさんと3人で心斎橋から道頓堀をぶらぶらとしておりまして。朝から雨やったから、あんまり人もいないかもなあと思ったら、トンでもない。どこもかしこも人ひとヒトでいっぱいで、どうしたことかと思ったよ。
今日は百貨店の初売りだったのですね。例年以上に福袋がよく売れているらしいし。そういう物欲は雨だから収まるということはないのですね。

百貨店の中に入ったら、人がいっぱいで、今日はそんなに寒くはなかったので、いつも以上に店の中は暑かったなあ。そんな中でコートとかマフラーとか手袋とかを売っていて。こんなけ暑かったらそんなものを買う人はおれへんようになるやろうと思うのだけれどねえ。でも百貨店内はちゃんと暖房がきいてましたね。

道頓堀商店街、とっても賑わっているように見えるけれど、ちょっと道をハズレると、というか、場外馬券売り場を越えた(堺筋側に)あたりから両側の店の雰囲気が急に風俗っぽくなって、しかも人通りもまばらになっているっていう悲しい状態でした。
休んでる店が多かったのもあるけれど、御堂筋側の、心斎橋筋と交わっているあたりの喧騒との格差に、なんだか悲しいような寂しいような怖いような気分になりましたね。
いいのかなあ、あれで。


「格付けチェック」で分かったこと

「芸能人格付けチェック」をだらだらと見ていた。本物と偽物を見分けることができるか、一流の芸能人なら見分けられるはず、だから見分けられなかったら「二流」「三流」とランクが下がっていく、というゲーム。
「本物と偽物」といっても色々。例えば数億円のバイオリンの音色と5万円のバイオリンの音色を聞き分けるとか。高級食材とスーパーの冷凍物を食べ比べるとか、そういうことである。

誰が見分けられるかとかはともかく、ずっと見ていると、そういう「高級」と「低級」の違いってなんやろなあと考えさせられてしまった。
ベテラン俳優が、プロの映画監督の映像と素人の撮った映像を見分けられなかったり。そういうのはまあ特別としても、高級食材と冷凍物を見分けられないのを見ると(そういうのを食べ慣れてはるように見えるだけに)
「結局、冷凍物でも大した違いはないのだ」
ということを再確認できるのだな。

よく「どこそこでとれた天然物」とか「高級食材」とか言われていても、こうやって食べ比べをしてみても安物と見分けをつけるのは難しいのだな。
僕らよりよっぽどそういう「高級物」を食べなれているはずのタレントさんたちにしてこのざまなのだからね。

だったら、高級食材を食べる意味はどこにあるんだろう。わざわざ高いお金を払って「本物」と呼ばれるものを食べる意味は。それが偽物(というか代用品)と比べて、一口で分かるくらいに味が違っていたら分かるけれどね。

そうして番組が終わる頃には、こんな高い食材には一生縁がないかもしれないけれど、それでも全然かまわないなあという気持ちにさせてくれるのだった。いい番組だなあ。


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1月3日(水)

初詣

奈良に住んでいる友人家族、奈良に里帰りしている友人家族といっしょに、奈良に初詣に行ってきた。
近鉄奈良駅周辺は大勢の人で賑わっていた。昨日の道頓堀を彷彿とさせる。
だが奈良公園から興福寺のあたりまでくると、人もだんだんまばらになっていき。時間が遅かった(お昼2時過ぎ)からかなあ。それか、正月には奈良のお寺には参らないのか。まあ初詣といえば神社が普通やからね。

そういえば昨日のニュースで、興福寺の住職の皆さんが春日大社に初詣に行く様子を放送していたな。全国でも珍しいことなのだと。お寺さんが神社にお参りするなんてね。
神社の本殿の中でお経を唱えているのは、風変わりな図だったなあ。って、僕もクリスチャンでありながら(そして喪中のはずなのに)、今日はお賽銭(お寺でもお賽銭というのだろうか)を上げて手を合わせてきたから、人のことは言えた義理ではないのだ。

でもコレぐらい、いい加減なところがあったほうがよさそうな気がする。特に最近の世界の紛争を見ていると。そこら中で起こっている紛争は宗教絡みのものばっかりだ(もちろんそれ以外のものもあるけれど)
どんなことでも、お互いを尊重しないとね。
興福寺のお坊さんがお参りするのは、ずっと昔の神仏を一緒に祀っていたことのなごりでもあるらしい。そう、自分を超越したものを敬い拝む気持ちというのはどれでも一緒なのですな。

今日の初詣は興福寺から浮見堂、猿沢の池、もちいどの商店街と来て、商店街の中のパスタやさんで食事をして解散。
なつかしい友人たちとの散策は、気持ちよく楽しかったなあ。
そして、奈良ってとっても静かなのだな。昨日の道頓堀、心斎橋とはエライ違いだ。
人が多い少ないということに関係なく、うるさくないのだ。商店街の中で、店同士が大きな音の出し比べをしていることもないし。


駅伝

「EKIDEN」というのはもう普通語になっているらしい。外国でも「EKIDEN」で通じるようだ。長い距離を襷をつないでいくというレースの仕方は、どこから生まれたのかなあ。
昨日今日の箱根駅伝を見ていると、なんだか昔々の飛脚とかは、こういうことをしていたのだなあと思って、なんだか歴史に思いをはせてしまったよ。
というほど真剣には見ていなかったんだけど。だいたい毎年、マスコミが騒ぐほどには見てないなあ。今年はどこの大学のなんという選手が強いのかも知らないし。

昨日、日航ホテルの33階のラウンジで、お昼のバイキングを食べたんだけど、タイムリミットが午後2時までと決まっていて。入るときに、
「2時で全部片づけますがよろしいですか」
と念を押されてしまった(その時1時10分ぐらいだった)。

食事をするだけ(お酒を飲まない)だから、まあ50分ぐらいでもいいだろうと思って、そこで昼食となったんだけど。
中に入ると、正面の大型プロジェクターに写っていたのは、なんと箱根駅伝のテレビ中継だった。なんだか「日航ホテルのラウンジ」とはちょっと違う雰囲気やなあ。
それほど駅伝の人気は根強いんやなあ、と感心したけれど、もう一つ感心したのは、この駅伝中継がちょうど2時で終わるのだね。だから
「ゴールまで、あとわずか!」
とアナウンサーが叫んでいるときは、こちらの残り時間もあとわずか!となるわけだ。
偶然かもしれないけれど、うまく考えたなあ。

で、話は元に戻って駅伝。僕はマラソンは好きだけれど、駅伝はいまひとつぴんと来ないんだなあ。まあ普通のというか、よくある駅伝はマラソンコースを5,6人でつなぐのがほとんどで、そうなるとひとりが走る距離が10キロとかそこらになってしまう。
それって10000メートルといっしょやないかい。それで長距離競走なのか。いや長距離には違いないけれど。ちょっと釈然としないのだなあ。

だからといって箱根駅伝に注目するか、というとそんなことはない。なにしろ朝の10時から午後は2時頃まで走り続けるのを見続けるという、そういう根性がないのだなあ。

なんじゃそら。短いのがええんか長いのがええんかはっきりせえっ、ということになるな。いやあ、これはどうも分からん。

ずっと見続ける根性はないので、ときどき眺めてみるということになる。そしていちばんの見どころはやはり襷リレーなのだな。時間切れで襷がリレーできなかったときのあの悔しそうな選手の様子を見ていると、そんなに一生懸命に見ていないはずやのに、かわいそうやなあ、ああ学生の純粋な涙やなあ、などとおっさんらしい感傷に浸ってしまうのである。
そうやってみんな駅伝にはまっていくのだろうか。


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1月4日(木)

天気でよかった第4日

今日からそろそろ正月気分もなくなっていって、テレビも通常放送に近づいていくのだな。そう思って、新年最初のワイドショーはなにをするのかと気になって(気になるところがわれながらおかしい)、朝早く(といっても8時だ)起きてワイドショーを見てみると、相変わらず毎年と同じように、海外脱出の芸能人情報をやっているのだなあ。

ちょっと違うなと思ったのは、以前ほどみんながみんなハワイへ行くわけではないのですね。どうやらオーストラリア組が多いらしい。
そんな中、「タイのバンコク、チェンマイ、ベトナムへ」と言っていたのが美川憲一。この時期に行って大丈夫なのか? というような質問はどのレポーターからも発せられなかった。

ハワイ行きの芸能人が少なくなっても、ハワイで待っている芸能レポーターは居るのだな。それも梨本、井上、前田といった大御所が行ってる。これはそのあと、ハワイでゴルフでもするんだろう。余暇を兼ねた出張といったところか。
レポーターもベテラン組なら、わざわざハワイに行っている芸能人もベテラン組。どちらも取材する、されるという前提で行ってるよなあ。結婚式を挙げた羽賀研二はそういう「芸能人枯れ」も視野にいていたのだろうか。他にネタがなければ結婚式の取材をするしかないからね。うまくやったのかなあ。さすがだ。

で、続いてのネタはやはり紅白。DJ OZMAのパフォーマンスが話題の中心。
僕は彼が氣志團のボーカルと同一人物やとは知らなかった。だとするとあのパフォーマンスも納得。というか、NHKとしては彼を外すわけにはいかなかったのではないかなあ。だって前回、前々回と、いちばんパフォーマンスとして盛り上がったのは氣志團のステージやったからね。あの程度のことは了解済みやったような気がするけどなあ。
氣志團は紅白を盛り上げるためのパフォーマンスに、2回続けて成功していたと思う。面白かったもの。そして一生懸命にネタを仕込んでいるのが分かったし。それは今回もやったけど。
そういう「紅白にかける一生懸命さ」が北島三郎をも動かしたのではないかなあ。

などという話はワイドショーでは聞かれないのだな。だいたい見てないやろう、あんたら、というような話しかできない人ばっかりやったなあ。それで、見てないくせに色々批評したり批判したりする。
「家族みんなで楽しめる歌がありませんねえ」
とんでもない。
お父さんが知っていて子供が知らない曲、逆に子供が大好きでお父さんは聞いたことのないような曲、そういうのを並べて聞いて、お互いの好きなものを交換するような楽しみもあるのではないかなあ。そういう意味では演歌のあとにポップス、そのあとにラップとかいう並べ方もアリやと思う。
今まで知らなかった曲を聴く楽しみもあるではないか。ヒットした曲ばっかり並べて、知ってる曲ばっかり並べて、それではい紅白、と思っているのだなあ。
NHKより、それをあれこれ言っている人たちの方が、考えが古くさいように思えてきたよ。

今日は暖かい一日やったな。ネコの砂を買いに行き、掃除、洗濯。日常だ。まだまだ休みは続くけどね。


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1月5日(金)

町歩き・西宮

用事があって西宮まで行ってきた。用事はすぐに済んでしまったので、西宮をてくてく。
阪急の西宮北口駅から阪神今津駅へ。そこからさらに甲子園まで。
甲子園のららぽーと(甲子園球場のすぐとなりにあるショッピングセンター)でお昼ごはんとウィンドウショッピング(つまり何も買わなかったのだな)。
大阪に戻って、阪神百貨店でタイガースショップやら(^◎^;)バーゲンの品物をウィンドウショッピング(つまり何も買わなかったということ)。

ららぽーとも阪神百貨店も、平日のお昼やのに人がいっぱいでびっくりしたよ。それだけ景気がいいということなんかなあ。それか、この両店の商売の仕方がいいのか。バーゲンの効果もあるんだろうけど。

特に阪神百貨店は、いつの間にあんなにきれいになったんだろう。昔の印象ではちょっとごみごみしていて、庶民的な百貨店という印象やったのに。今日はいってみたら、売り場もキレイになっているし、品物のディスプレイも洗練されているような。
そしてどの売り場もお客さんがそこそこ入っていて活気がある。こんな風になってるんやなあ。

タイガースショップは、いろいろ食指が動くものがあったんだけれど、結局何も買わず。それにしても女性客が多い。なんか、様変わりしたなあ、タイガースファン。いいことやと思うけどね。


事件報道と理由づけ

ひどい事件だ。予備校生の兄が妹を殺害し、遺体を切断。

いや、確かにひどい事件なんだけど。
テレビに出てくる専門家の先生たちの話を聞いていると、どうも素直に頷けないのだなあ。つまり何かの理由づけみたいなことをしているのだけれど。

受験に失敗して落ち込んでいたのだろうとか、代々歯科医で、そのプレッシャーがあったのだろうとか。
それって、本当にそうだろうか。
本当の動機なんて、そう簡単には分からないだろうに。だいたい報道されているのは「本人の供述によると」ということで、すべてこの兄の発言を信用して、というのが前提になっている。
なじられてカッとなったとか、ここ3年は会話もなかったとか。
それを本人の供述として報道しているのならマダ分かるけれど、それがそっくり「真実」として報道されているような気がする。本当にそうか。

誰しもこんな犯罪は起こるべきではないと思っている。しかし起こってしまった。
そうすると、そこに自分なりに納得できる「理由」がほしいのだろう。不条理なことはキライなのだ。許されないのだ。理由がなければならないのだ。
だから「ゲーム」とか「サイト」とかいうのが出てきたりして、それを「理由」にして、ちょっと安心している。そういうもので「本来正常であった感覚が歪んでしまったのだ」と。

そうか、安心したいんやなあ。「理由」があれば「安心」できる。それが単純な理由であればあるほど安心感も大きい。受験のプレッシャーとか、ゲームとかサイトとかだったら簡単でいい。いままでもそういうことが問題になっていたんだから、納得できるし。

でも、本当にそうか。そのフレーズが頭にこだまする。


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1月6日(土)

年始?

朝から雨。そして今は夜中になっているが、外は風が舞う音がしている。まるで台風並みだ。こわい。こんな天気になろうとは。
年末に猛威をふるった「爆弾低気圧」がまたできるらしい。年末は関東から東に大きな被害が出たらしいが。だから今回も近畿地方にはあんまり関係ないだろうと高をくくっていたのだが、今のこの風の音を聞くと、尋常な気分ではいられない。
家も揺れてるし。風で。ネコも様子がおかしい。そわそわしているというか。怖いんだろうなあ。

今日は父母の家にお年始に行ったのだ。すっかり遅いお年始になってしまったわけだが、二人いる姉の両方の都合がつかなかったのだな。まあその都合にこちらが合わせたというか。
毎年4日に集まっているんだけれど、今年は姉が4日の都合が悪いということで。兄弟同士では3日に集まる方向で話が進んでいたのだが、3日はこちらが先約があってダメ。ならばと今日、ちょっと遅いけど6日にしようということになったわけ。

二人の姉とその娘(ひとりずつ)と僕ら夫婦と父と母。8人でコタツを囲んで、まったりとした時間を過ごしましたとさ。お寿司を食べてケーキを食べてみかんを食べて。食べてばっかりやな。まあ楽しい時間でした。

下の姉が、家のパソコンのメールの設定がうまく行かないというので、帰りに車で家まで連れていってもらって、メールの設定をしてあげた。
ついでに晩ご飯までよばれてしまって。いい思いをさせてもらったなあ。

姉の家にはノートパソコンが2台。最近新しく1台買ったのだと。しかし設定がよく分からない。というか、勝手に設定されてしまって、はてどうしたものかという状態になっていたらしい。
新しいメールアドレスもあるので、そちらに変更したいのだけれど、うまくいかない。なぜ?
なぜだかは僕にも分からないけど、ともかく新しいメールアドレスを設定したら、難なく設定完了。ためしにメールの送受信をしてみたら、問題なく送受信もできた。ホッと一安心。身内でも、他人のパソコンをいろいろいじくるのは緊張するのだ。


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1月7日(日)

思いついて運動になる

朝から微妙な天気。というか昨日からなんだけれど。強風。そして雨。
今日からは天気は回復する(近畿地方)かと思っていたんだけれど、そうはならなかった。

とはいっても、今日起きたのはもう10時半も回っていて。お昼過ぎになったらちょっと風もおさまってきた。で、洗濯をはじめたんだけど、ぶたこが突然、
「花園でラグビーしてるで」
というわけで、高校ラグビーを見に行くことにしたのだった。ほんまに突然の思いつき。ルールとか、詳しくは知らないし、だいたい今までテレビで放送してるのを見たこともあんまりないしなあ。
どこがやってるんやったっけ。今日は決勝か。東海大仰星高校と東福岡高校か。

ともかく大急ぎで用意をして。ともかく寒いことは間違いなかろうということで、シャツの上からフリースを着て、その上から上着を着て、さらにマフラーに手袋。これで万全やろう。
そそくさと電車に乗って東花園へ。

ラグビー場に着いたらちょうど試合が始まったところ。どちら側に行けばどちらの応援になるんやろう。そんなこともよお分からんのである。会場にいてはるひとにぶたこが聞いたけれど、さあ、という返事。まあともかくスタジアムの中へ。

思ったより人数ははいっている。もっとがらがらかと思ったよ。大きな声で応援しているのはどうやら東福岡の応援団らしい。声が向かいのスタンドに跳ね返ってこだましている。

ともかく座るところを確保して。とはいいつつ、どこでも座れるくらいの状態ヤッてんけど。ともかく横手から見られる場所に。
で、なんとなく東福岡を応援してしまっているのだった。なんでかは分からんけれど。別に東海大仰星がイヤやとかそんなこともなく。東福岡に知り合いが居るとかそんなこともないんだけれど。ほんとになんとなくね。

で、そんなにラグビーファンでもないはずやのに、試合が始まるとどっぷりとその世界にハマってしまうのですな。
「いけーっ!」「走れー!」「蹴れーっ!」「倒せーっ!」
と叫び続けてしまいました。いやはや我乍ら呆れてしまう。

試合は、前半は東福岡が押し気味に見えたけれど、後半に入って仰星が立て続けに2トライ。そして試合終了間際にもトライを奪って、17−0。
もう絶望的やったけれど、ロスタイムに東福岡がトライを奪って一矢を報いたね。
ロスタイムになったとき、東福岡の選手が交代。3年生なのかなあ。最後の試合でもう勝ち目もないと見て、出場させてあげたのか。
交替した選手が涙を拭いながらサイドに引き上げていくのを見たら、じんとなってしまうなあ。

最後のゴールキックはポールに当たって、ゴールならず。そしてそこでノーサイド。倒れ込む選手たち。
いやあ30分ハーフを十分楽しませてもらいました。なんていう言い方したら失礼かもしれないけれど。
でもスポーツって、生で見るとやっぱり面白い。普段テレビとかで見ていても、なんとなくだらだらと見てしまって、分からないところとか面白くないなあとかダレてるなあとか思うんだけれど、生で見ると入り込んでしまうよなあ。
あんまり興味のなかったラグビーやけど、生で見て、面白いなあと思ったなあ。社会人やともっと面白いんだろうか。でもちょっと調べたけれど、チケット代がお高いんですね。


試合終了後、駅へ向かう人の方向とは反対に、裏手の方へと歩いていった。まだ時間も早かったし(表彰式とかも全部終わって、4時をちょっと回ったところ)、せっかくやから歩いて帰ろうということで。

と、ちょっと歩くとそこには花園図書館が。5時の閉館やからちょっと時間もある。というわけで休憩がてら時間をつぶす。ここで本を借りても、同じ市立図書館やから近所の図書館に返却すればいいのだし。
で、5時の閉館まで本を読んで過ごした。ぶたこは本を借りて。

もう5時になったけれど、今日は7時からの「完成!ドリームハウス」を見たい。それまでに帰ればいいから、ゆっくり歩いても大丈夫やなあ。
途中のロイヤルホストで、やや早めの夕食もとって。
ゆるゆる歩いていたら、どうやら時間の経つのは早い。というか、ちょっと目安が甘かったか。なかなかうちに近づいていない様子。だいたい今歩いているのはどの辺なのだ?

時計を見ながら一生懸命歩く歩く。どうやら一生懸命歩いて、ギリギリで7時には家に着きそう。はっはっ。
もう日はとっぷりと暮れて気温も下がってきたけれど、一生懸命歩いているおかげであったかい。というか、だんだん汗ばんできたで。ものすごいいい運動や。

一生懸命歩いた甲斐あって、ちょうど7時に家に帰り着きまして。やれやれ。ほんまにエエ運動になりました。
天気もよかったしなあ。昼からは。たまには汗もかかないとね。


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1月8日(月)

長い冬休みの最後の日

普段ではこんなに長い休みをとることなど考えられないので、ちょっと変な気分。あしたから仕事なんやなあ。仕事、出来るんやろか。

朝からテレビを見て(しかも起きたのは10時半だ)、昼からはちょっと読書をした後、散歩を兼ねて図書館に本を返却し、ついでに買物もして、夜はまただらだらとテレビを見て、とそんな一日だった。
こんなだらだら状態で明日から大丈夫なのか? たぶん大丈夫なのだろうなあ。

テレビを見ていて。午前中は紅白の話がまたまた出ていてね。「痛快エブリディ」で。いろんな人がNHKの対応はどうやとか、そんなことをしても視聴率は上がれへんとか言うててね。ああ、この人らとも話が合わなくなっているのかなあと思ってしまった。
だいたい紅白のことをあれこれ言う人に限って、紅白を見ていないのだね。だからNHKの対応については、新聞他のマスコミの発表に基づいて話しているのだな。
今日はみんな「NHKがリハーサルで気がつかないはずはない」などと言っていたけれど。そうかなあ。「他の番組でもいやっちゅうほどリハーサルをするのに」というわけだけど。
でも紅白は実際の放送時間だけでも3時間以上かかるわけで、それを2回も3回もリハーサルする時間はないと思うなあ。ましてや大道具を使う小林幸子や美川憲一なんかは、相当にリハーサル時間を割り当てられてるやろうから、そうなるとそのほかの歌手のリハーサルなんかは、そんなに細かいところまでは出来ないのではないかなあと思うのだけれど。
だからNHKの他の番組に比べて、格段にリハーサルの時間が短いのが紅白なんじゃないかと思うのだけど。これは素人考えなのかなあ。

それに。10年以上前になるか、本木雅弘が出たとき、首のまわりに白い液体を充満させたコンドームを巻き付けた衣装で出てきて、最後には頭の上でコンドームを破裂させて、白い液体を体にかぶるっていう衝撃的なパフォーマンスを繰り広げたのだけれど、当時はそんなに話題にもならなかった。
でもその後、和田アキ子がラジオ番組で、あれはリハーサルではなにもやってなくて、本番で突然そんなことをしたのでみんなびっくりした、と暴露していた。ずっと前からリハーサルと本番とで違うことをするというのは、出来たわけなんだろう。

それになあ、視聴率が30%を越える番組で、苦情が750件程度ならどおってことはないと思うけどなあ。ちょっとNHKも神経質になりすぎるような気がする。というか、紅白になるとどのマスコミも神経質になりすぎ。
所詮はテレビのエンターテイメントなのだから、そういうつもりで見るのがいちばんだと思うのであるよ。

いや、言いたかったのは、実際に見てもいない番組のことをあれこれ批判する風潮がイヤやなあということで。
風評なら、TBSのK−1も、録画録画で結構評判が悪かったらしいのに、それについてはどのマスコミも大した報道はないのだなあ。その点で、K−1より紅白の方が勝っているとも言えるか。何もNHKを応援したいとか、そういう気持ちはないのだけどね。


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1月9日(火)

仕事始め

ヤンキースに移籍した井川の英語はひどかったな。あそこまでカタカナ英語やとかえって気持ちがいいとも言える。しゃべれませーんをアピールするには十分だったかも。
でもあれでも結構練習したらしいし、英語の特訓もしているという話だが。でもどれも井川のことだから、普通で考えられるようなわけにはいかないのかも。

いよいよ今日から仕事である。ちょっと早めに出勤。というのも、去年の月末締めの手続きやらをまったく手つかずにしたままで新年を迎えたからなのだな。
事務の方から年末に、「新年は9日に処理します」という話が来たので今日まで休みをとったのだった。そして事務の人たちに迷惑がかからないようにと、ちょっと早めに出勤したというわけ。ま、そんなことはどでもよろしい。

久々の会社、ということで調子が出ないのではないか、と心配する間もなく、次々に仕事を頼まれて、以外にも新年からバタバタと働いておりました。
ひょっとしたら適当に皆さんにご挨拶して、去年やり残した片付け物などをして(机まわりを整理するということ)、仕事はそこそこかなあと思っていたのだけれど、すっかり当てがハズレました。まあ仕事が順調にあるっていうことはエエことやけどね。

久々の仕事でも大したミスもなく、順調に過ごしているんだけれど。MS−Wordで文書を打ち込んでいたら、突然、
「音声ファイルを保存するには容量が足りません」
という表示が。なんじゃこりゃあ。だいたい音声ファイルなんか保存してないし編集もしてないし設定もしてないし。

MicrosoftのHPを検索したら、どうやら自動保存を設定していて、しかも「音声ファイルを保存する」という設定にしていたら、自動保存の途中でこういうメッセージが出るのだと。へえ。知らんかった。
というか、今まで一回も出てきたことないのに。今よりHDの容量が少なかったときにも出てこなかったのに。突然出てきたのはどういうわけ? という謎はとけぬまま。

ともかくMicrosoftのHPの指示に従って、音声ファイルの設定をオフにする。
「Normal.dot」とかいうファイルに、デフォルトの設定が記録されているので、それをいじれば今後新規に作った文書でも、そういう表示はでなくなるのだと。なるほど。

で、「Normal.dot」を直接設定しなおし。これで大丈夫。よかった。

と思ったのもつかのまだった。
今度は、今まで個人的に設定していたキーボードのショートカットやらマクロやらが全く利かなくなった。あらら。
つまりは、Normal.dotを直接編集すると、どうやらいじらなかった項目は初期化されてしまうらしいのだ。でなければ、うっかり初期化してしまったのか。でもどこで? だいたいそんな注意書きみたいなものはHPには載ってなかったぞ!マイクロソフトぉ!

仕方がないので、ちょっとずつ思い出しながら個人設定をやりなおし。うむむ。新年からこんなことになろうとは。ま、こんなこともあるわな。


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1月10日(水)

テレビのこといろいろ

きのう初期化してしまったMS−Wordは、今日になっていろいろ使っているうちに、いろんなところで思わぬ動作をして、その時その時で対処するしかない状態なのがどうもイライラする。といっても、どうしようもないような(突然終了するとか、一気に変換するだとか)いうことはないからいいんですけど。
いつもはフォントはMS明朝。半角も「日本語に同じ」にしているんだけれど、初期値は半角は「Century」なんですね。これはプロポーショナルフォントで、ちょっと見にはカッコイいけれど、半角の「−」がほとんど「.」にしか見えなかったりして、実際印刷すると不都合が多いのです。でも今回、きっちり初期化されてしまいました。
おかげでいちいちフォントの設定を修正。ああめんどくさい。明日になったらNormal.dotを設定し直すぞ。


昨年の荒川静香の金メダル以来、フィギュアスケートの人気が(特に女子)うなぎ登りという感じで、去年の大晦日のアイスショーに続いて、3日には国際基準とは違う競技会も開かれて。
さらにさらにという形で、おとといは「スターズ・オン・アイス」というのも放送されていたな。テレビ大阪で。これはプロのアイスショーなんだけれど、特別ゲストに浅田真央や高橋大輔なんかも出ていてね。
プロになった元五輪選手の演技を見るのも楽しいなあ、と思ってたんやけど、その辺はダイジェストで通りすぎるだけ。
何かというと浅田真央なのだなあ。CM前には「いよいよ浅田真央」だとか「このあとは浅田真央」だとか、とにかくそこだけに焦点を合わせていて、いままでのVTRだとかも流してね。
おまけに、出場を予定していたけれど、肩の故障で欠場した安藤美姫も、挨拶だけに出てきて。なんじゃそら。
そんなんいらんから、ほかの人の演技を放送して欲しかったのに。

と思ったら、最後に
「BSで完全放送」
だと。全部見たかったらBSでどうぞというわけか。

それはいいとしても。フィギュアスケートのファンとしては、このところのフィギュア人気の高まりはうれしい限り(放送もされるし)なんだけど、ちょっと「浅田真央」フィーバー、あるいは「高橋大輔」フィーバーになりかけているのが気になるところ。
このふたり(に加えて安藤美姫か)をアイドル的に扱って、それで視聴率を稼ごうとしているように見えるのだな。
マスコミにつぶされないように祈るしかないのか。まあ、冬場だけのものだけど。


今日は水曜日。「ヤング・スーパーマン2」の放送がある、と楽しみにしていたのに、テレビ欄を見てびっくり。
「ミュータントX2」
という新番組になっていた。だいたい「1」がなくていきなり「2」っていうのはどうやねん。

「ヤング・スーパーマン2」は去年の暮れに新番組として、1話が放送されただけではないか。1話だけで終わるんやったら「新番組」なんてするなよなあ。
ネットで色々検索してみたら、同じようにがっくり来ている人がいっぱいいるみたいだった。そして「ヤング・スーパーマン2」の放送はしばらくはなさそうだということがはっきりしてきた。ああなんと。

これで毎週の楽しみが一つ減ってしまったのだな。


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1月11日(木)

テレビは面白くないので読書にいそしむわが家

なぜだか最近、ほんとにすぐにテレビのスイッチを消してしまうのだな。面白そうな番組がないのだ。ドラマとか、見だしたら面白いのかなあ。
昨日は篠原涼子主演の「ハケンの品格」をちらっと見ていたのだが。題材は面白そうなんだけど(昔ながらのサラリーマンを蹴散らしていく派遣社員の篠原涼子がクール)、演出・脚本が今まで見たドラマと大差ないのが気になるのだな。
「次はこうなるのでは・・・」
と予測できてしまう。展開が予測できてしまうドラマなんて、あんまり見たくない。
その上、演出が今までのドラマを踏襲していて。ああ、今のドラマはみんなこんなんなのかもなあ。そういえば「のだめカンタービレ」だって、演出の仕方は他のドラマと大した違いはなかったなあ。こういうシチュエーションならこういう画面割り、こういうカット割りというマニュアルでもあるんじゃないかと思うくらい、みんな同じような画面だ。どこかで見たことがあるような。新味がない。

ドラマと言えば、今日の新聞のテレビ番組表を見ていて面白いなあと思ったのは、そのドラマが(あるいは番組が)何を主眼にして視聴者を引きつけようとしているか、一目瞭然なものがあるのだね。
今までも二時間ドラマなんかで、ほとんどあらすじが分かってしまうでないのと思うような副題がついたものとかもあったけど。あれは「だいたいこんな筋なのか」と、興味を持ってもらえればめっけもの、ということなんだろう。
今日から始まったドラマで、二宮和也主演の「拝啓、父上様」は、俳優の名前より先に「倉本聰脚本」と堂々と載っているのだ。出演者よりも脚本家の名前で興味をそそろうということなのだね。そんなドラマも珍しいなあ。
と思ったら、さらに上には上がいて、「渡る世間は鬼ばかり」は、ドラマの題名より前に「橋田寿賀子ドラマ」とうたっている。ここまで来ると究極だ。

昔、タイトルの前に名前を出せる映画監督は、ヒッチコックとジョン・フォードくらいだと言われていた。それくらいの位置に橋田寿賀子も倉本聰も居るってことやね。

で、どちらのドラマにも興味のないわが家は、テレビを消して読書の時間だったのだ。静かな家は落ち着く。


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1月14日(日)

「とても怖いことをテレビはやっている」

いつもこの日記は(日記と言っていいのかなあ)夜寝る前に書いているんだけれど、きのうおとといは夜になったらとにかく眠たくって、書くのもめんどくさくって寝てしまった。ちょっと風邪気味だったのもあるんだけれどね。で2日ぶりの日記。

朝日新聞を読んでいて、「島崎今日子」という名前を見つけると一生懸命読んでしまう。この人、どんな人なんだろう。関西の人というのは分かるんだけれど、いろんなことに歯に衣着せず斬っていくという感じがあって、とっても好きなのです。特にテレビ番組については、ほかの人が書かないだろう言いにくいだろうことを堂々と述べていて気持ちがいい。ときどき気持ちが合わないときもあるんだけれどね。

先日のテレビ解説欄では、細木数子や江原啓之が「絶対者」のように扱われていることに対して、表題のように述べていたのだな。
まあふたりとも「出しておけば視聴率が稼げる」んだろうなあ。
今の世の中、どんな形でもいいから道を示してくれる人を求めているんだろうけれど。細木数子の場合は六星占術という占いから始まって、だんだんと人生訓を垂れる叔母さんの地位を固めていったし、江原啓之に至っては「死者がこう言っています」という特殊能力を最大限に利用している。

僕は占いとかは遊び程度にしか考えていないのだけれど、世の中には人生のよりどころにしている人も居るのだな。それはその人の勝手だから、どっちでもいいのだけどね。死んだ人の霊魂が語りかけるっていうのも、全く否定する材料もないから、ひょっとしたらあるのかもしれないなあとは思うけれど、ひょっとしたら全くないのかもしれないなあ、と、こちらは実体験もないのでなんとも検証のしようがない。だからこちらも、信じたい人が信じればいいという程度。

ところが最近のテレビでは、なにもかも「信じなさい」と言われているみたいで。否定するものが何もないような風潮だ。逆らえないような空気。そんなものを感じる。
全部を肯定してしまっていいのだろうか。
例えばバラエティならまだいいんだろうけど。
あ、全部バラエティなのか。だったらそれでいいのか。いやいや、バラエティは見る側も「騙されて見るもの」という認識があると思うけれど、細木数子や江原啓之は「信じなさい」と言われてるものなあ。ちょっと違うと思うんだけれどなあ。

かつてオウム真理教や足裏の宗教(何と言ったっけ)の宣伝媒体になってしまった反省は、そこにはないのだなあ。そこが気になる。反証番組が一つもないのが、気になる。

ついでに。先日たまたま4チャンネルを回したら、みのもんたの「朝ズバッ!」で、ゴミ屋敷でネズミに餌付けをしていて近所に迷惑がられている家の話をしていて(ちょっと違うかも。なにしろ一瞬見ただけだから)、みのもんたが
「わたしなら、ナパーム弾で焼き払ってやりたいですよ!」
と言っていたのだ。ナパーム弾?
それって、ちょっと言いすぎでは? という人は居ないのだなあ。あのあと、ちょっと過激すぎましたとかなんとか、お詫びのコメントはあったんだろうか?
みのもんたも「絶対者」になりかけているような気がする。ちょっと怖い。


いつのまにか変更されたCD−RWの「仕様」

上の姉から電話があった。パソコンのことで分からないのだと。兄弟の中で(夫婦揃って)パソコンに詳しいと思われているのだ。実際そうかもしれない。

相談というのは、CD−RWに入っているデータを消去しようとしたら、「このディスクは読み込み専用です」とかなんとかいうメッセージが出て、ファイルの削除が出来ないのだと。
姉はそんなにパソコンに詳しくないので、電話口でいろいろ説明させてもらって、マウスのクリックはどうしたとか、画面上に何が出ているかだとか、とにかく分かる限りのことで説明して操作してもらったのだけれど、どうもうまくいかないらしい。

しかたなく、ネットで色々検索してみた。CD−RWについて。読み込み専用になるなんてことがあるのか。
そしたら、マイクロソフトのサポートページに行き着いた。
いろいろ読んでみたら、どうやらCD−RWの中の特定のファイルだけを消去するということは出来ないらしい。なんと!

僕の認識では、CD−Rは1度しか書き込みができないけれど、RWは複数回書き込みができる。フロッピーと同じように扱うことができる。そう思っていたのだが。そしてパソコンのマニュアルにもその様なことが書いてあったと記憶していたし、以前そのように作業した覚えもあるのに。

ところが。マイクロソフトのページをよく読んでみて分かった。WindowsがXPになって、仕様が変わったようなのだ。
つまり98やMeでは、フロッピーのように使えていたのだが、XPになってその様な使い方は出来なくなっているのだな。それにはセキュリティとかデータの安全性とか、そういうことがあるらしいのだけれど、よくは分からない。
ただ、「複数回書き込める」というのは生きていて、つまりは「フォーマットし直してディスクに書き込むことができる」ということになったらしい。一つのファイルだけを削除するということはできないけれど、ディスク全体をフォーマットし直して新たにファイルを書き込むということはできるというわけで。

ううむ。XPになったというだけでそういう仕様の変更があろうとは。なんか騙された気分。ちょっと納得がいかないなあ。でも仕方ないのだろう。

というわけで、姉には「でけへんわぁ」という回答しか出来なかったのでした。


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1月15日(月)

仕様がどうのこうのと言ってる間に

WindowsはVistaとかいうのが今日発売なんですね。もうわけが分からんわ。いろいろ宣伝している記事を読んだりしたけど、いまひとつ何が新しくなったのかがよく分からない。
そしてXPのサポートは2年後かそこらで終わってしまうのですよね。ということはそれまでには買い替えないといけないということか。
そしてまた新たにVistaの「仕様」を勉強しないといけないのだろうか。なんか、「走り続けてます」って感じなんですけど。それが狙いなんだろうけどね。

まあ新しいのが出るのはいいんだけれど、それで昔からあるものが駆逐されてしまうというのがどうも納得いかないというか。それがITの世界なんだろうなあ。古いもの弱いもの小さいものは駆逐される。
製品としての耐用年数を越えてまで使いたいとは思わないけどね。でも、マダ動くのに「仕様が合わない」ということで使い物にならなくなるとはなあ。なんか納得いかないのだ。

真剣に、他のOS、Linuxとかを考えてみたくなるのだな。新製品が発売される度に。


こんなことよりもっと、書きたいことがあったはずやのになあ。思い出されへん。なんやったかなあ。
ま、いいや。マタ思い出したときに書くことにしよう。


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1月16日(火)

思い違い・忘れ物

昨日発売だと思っていたWindowsVistaは、1月30日発売だった。昨日はその発表会見だったのだな。思い違いも甚だしい。うっかり読み間違って恥を掻いたな。その上、XPのサポートは2年から5年に延長されるらしいし。ま、それはそれでよかったけど。
VistaはXPより強力にシンプルになったと言っているが、操作がシンプルになってるだけだろうというのは容易に創造できる。その分、パソコンの中ではさらに複雑な計算を余儀なくされているんだろうなあ。
それを快適に動かそうと思ったら、大量のメモリと高性能のCPUが必要となり、またまたパソコン市場が動く。という段取りになっているんだろう。毎回繰り返されることだ。もう慣れっこになってしまった。それに乗っかるしかないのか。やっぱりOSを考え直すか。それももうめんどくさいのだなあ。

今日は天気が天気が崩れそう。朝のうちに洗濯物を入れる。もうすっかり乾いてる。そらそうや、おととい洗濯したんだから
今日はゴミの日。ネコのトイレを掃除して、オシッコウンコでかたまった砂をゴミ箱へ。
すべてほかせた。
安心して出勤。デジカメで近所の神社をパチパチ。
デジカメを上着のポケットにしまう。と、いつもそこにあるはずのものがない。ポケットにあるはずのもの。定期入れ。家に忘れた。慌てて(と言うほど慌てていない)家に帰る。
ちょうどガスの検針をしてはるところに出くわす。今月のシートを直接受け取る。こんなのは初めてだ。
定期入れをポケットに入れて再度出勤。駅の階段を上がるところで、降りてくる客とすれ違っていった。あと一歩だったか。いつもの電車には。
それでも2,3分少々の遅刻ですむ。近くに住んでいるというのはいいことだなあ。いつもより10分も遅い電車に乗ったのに。
電車に乗ってから気がついた。ヒゲを剃るのを忘れいる。あああ。今日は一日ひげ面で過ごすのか。まあ剃ったからとてもいい感じになるということもないからなあ。ただ、ちょっと不潔感はあるかも。
そういえば今日は社内環境かなんかの内部監査があるとか言うてたなあ。ま、いいか。

夜は読書。あ、ビデオにとってあった「ER」も見た。でも1時間で終わるからね。あとはテレビも消して読書。
おとといから読んでいた森博嗣は、昼の間に読んでしまって。ぶたこが読んでいた「チャーリーとチョコレート工場」の原語版をちょっと読んでみた。
日本語訳を読んでいたので、だいたいの内容は分かる。難しい単語もないしね。
でもアルファベットをしばらく眺めていたら、ちょっとしんどくなってしまったな。これ、慣れてくるもんなんだろうか。また機会があったら読んでみよう。

で、アガサ・クリスティの(これもぶたこが読んでいた)「雲をつかむ死」を読み始めた。
ベッドに座って読んでいたら、ネコたちがぶたこのまわりに集まってきて(ぶたこも本を読んでいたのだが)。というより、本を読んでいるぶたこと本の間にちんと座ってウトウトしている。うとうとしているのはぶーこ。ホンマに気持ちよさそうにしていた。
それを横目に、ベッドに座って本を読む。ネコたちも騒いだりしないので、静かでよかったなあ。ぶたこはちょっと迷惑そうやったけどね。

「スタートレック・エンタープライズ」を見た。毎週見るドラマがどんどん少なくなってしまうなあ。これはマダしばらく続けてやってくれそうだ。ただ内容がだんだん面白くなくなってきているのは確かだなあ。
スタトレシリーズの5作目だし、しかも時代背景は今までのスタトレよりも昔ということになっているし・・・・などなど、難しいんだろうけど。宇宙の物語といっても、ここまでたくさん作ってしまうとネタも無くなってくるわなあ。
今日のエピソードも、前にどこかで見たような・・・という気がしたなあ。それに最後がとにかくハッピーエンド(かそれに近い)というのも気になるところだ。

DJ OZMAがみずからのブログで怒りをあらわにしている。NHKの吉田プロデューサーの名前も出てきた。プロデューサーは最初から知っていたということなんだろう。なのにNHKは知らぬ存ぜぬの一点張りだ。それでは怒るのは当たり前でしょう。
なにかというと保身を図るのはどこの世界も一緒か。知らぬ存ぜぬでいつまでもやっていけると思っているのだろうか。
不二家も。これからどうなるんだろうなあ。


あんまり何の考えもなくだらだらと書いてみた。こんな日もあっていいんだろう。外は雨だけれど(帰りに雨にあった。大降りでなくてよかったけど)、気分は暗くない。あ、さっきちょっと夕寝もしたからか。それと、テレビをあんまり見ていないからかなあ。テレビって疲れる。そんな時もある。


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1月17日(水)

12年目

震災から12年目。朝からその話題でいっぱいだ。ニュースもワイドショーも。ともかくこの話題から入らないといけないような、そんな雰囲気があるのだけれど。
確かにねえ。忘れたくない出来事なんだけど。なんとなく「これをしなくちゃダメ」と言われているようで。誰も反対できない状況というのはどうなんだろう、と思ってしまう。
「風化させないように」というのも分かる。でも忘れたいことだってあるのになあ。そういう視点がなさそうなのがちょっと気になるなあ。
もちろん、誰も悪意を持っているわけではないし。
でも「黙祷しましたか?」なんて聞かれても。だいたい朝の6時前に起きてないし。そのことで責められることもないと思う。いや、誰も責めてないんですけど。
「何もしないんですか?」
なにかしなくてはならないのかしらん。それが人間として当然、とみんなが思うことが恐ろしくもあるのだなあ。こんなことを考えてはいけないのかなあ。

もちろんあの時のことはよく覚えている。忘れられないだろうなあ。
家中が揺れて(東大阪で)ぶーこが走り回り(まだネコは1匹だけだった)、本棚の上に置いてあったスタンドが落ちて粉々になった。
慌てて外に出たらもっと危ないかも、と思って布団の中でぶたことふたりでじっとしていた。最上階やし、押しつぶされることもないと思って。
最初に思ったのは「東海地震がついに現実になった」ということだった。テレビのニュースでも、なかなか震源地を特定できなかったし。震度の地図も東海の方しか出ていなかったんではなかったかなあ。
神戸の被害を知ったのは、何時間も経ってからだった。最初は伊丹駅がつぶれているのをテレビで見た。やがて三宮のビル群が倒れかかっているのを見て、つづいて阪神高速が倒れているのを見て・・・。いろんなことが頭をめぐる。
あれから12年が経ったのだなあ。


「とくダネ!」

朝起きたらもう8時を回っていた。急いで用意。といっても今日はゴミの日ではないし洗濯物もない。昨日よりずっとのんびりしているのだ。

8時を回ったので「とくダネ!」のオープニングトークを見逃した。いくつかある朝のワイドショーで必ず見るなあ。何といっても小倉智昭の存在が大きいと僕は思うなあ。
他のワイドショーもそうなんだけど、ワイドショーってスタッフ同士の仲が良くないとダメなんだろうなあ。で仲がよさそうに見えるのが今は残っているような気がする。ちょっと違うのはみのもんたぐらいで。あれはみのもんたが中心になって、なにもかもを仕切っているのですべてはみのさん次第、というところがあるけれどね。

で「とくダネ!」は、確かに仲がいいんだろうけれど、ときどき小倉智昭と他のスタッフとの意見が合わないときがあるんだなあ。コーナーによってはっきりと
「こんなことを放送するのはどうかと思うなあ」と言ったりするのだ。それも真顔で。たぶん真剣にそう思ってるんだろう。例えば性犯罪の特集など、微妙な問題についてははっきりとそういう意見を言ったりする。そういう真面目なときだけでなく、話の方向がちょっと変な方にいったときでも「なんで?」と、取材の仕方やキャスターの姿勢などに文句を言ったりする。そのときはちょっとはっきりとは言わないんだけど。
先週だったか、「海外のアニメ映画が字幕ではなく、吹き替えが多くなっている理由」という特集があって。おすぎさんがメインになるコーナーの1エビソードだったんだけど。取材をしたのはおすぎさんではなく、番組スタッフだったんだけど。
レポーターの男性が、今まで映画の吹き替えをした有名芸能人などを上げて、どの様な傾向にあるか(ディズニー映画はいわゆる声優が多い傾向にある。その他は俳優・タレントが多い)、などを長々と説明して、一向に「なぜ吹き替えが多いのか」という最初の本題に入らない。
小倉さん、さすがにイライラしたのだろう。「で、それが字幕版が少なくなったことと、どういう関係があるの?」と聞いたんだなあ。そしたらレポーター、
「ま、子供向けのアニメ作品ということで、字幕よりも吹き替えが多いようで・・・・」
ひとことで説明が終わってしまった。そして小倉さんと同じようにじれったく思っていたらしいおすぎさんが、
「じゃあ今週の推薦する映画を紹介しますっ!」
で、レポーターはかたなしやったなあ。まああんなレポートでは仕方がないが。

僕も去年「ウォレスとグルミット」を字幕版で見たいと思っていたのに、どこも上映していなくって結局見ずに終わってしまったのだな。英語でなんと言ってるのかを聞きながら字幕を追っていくのが楽しいのになあ。萩本欽一のしゃべりなんか聞きたくなかったのだ。
なんでそんなことをしたのか。よおわからん。テレビで放送してたときも2か国語やったと思ったけどなあ。萩本欽一じゃなかったし。イメージ壊れる。


朝のワイドショーで話が終わった。


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1月18日(木)

湯たんぽ

毎晩湯たんぽが大活躍である。寝る前に布団に入れておくととてもあったかい。
よく「頭寒足熱」といって、足下を温めておくといいというけれど、特に足下でなくても大丈夫なようだ。わが家は腰のあたりに置いている。とても暖かい。
お湯をたっぷり入れておくと、朝まで暖かいのだなあ。
そして、これがいちばんびっくりしたんだけれど、湯たんぽ一つを入れるだけで、そのまわりだけでなく布団全体が暖かくなるんだなあ。それが朝まで続く。これには驚いた。

腰のあたりを暖めるというのは理にかなっているらしい。というのをちょっと前の「はなまるマーケット」でやっていた。湯たんぽの特集で。
人間の血液の循環と関係があるらしい。血液がドコで温められるかというと、胃のあたり、肝臓のあたりなのだそうだ。だからそこを温めると、温められた血液が体中を循環して、結果体中が暖まるという段取りらしい。

それで半身浴などでも体中がぽかぽかするのか。頭はもちろん、肩とかもお湯の外に出ているわけやから、それで体中が暖まるということがあるのかなあと思っていたけれど。

半身浴といえば。アトピーの治療でお医者さんに通っていたときに、半身浴をすすめられて。そこは入浴治療を進める医院だったんだけど。ステロイドを使わずにね。
朝晩2回の入浴を勧めていた。それは肌を清潔に保つということもあるけれど、お湯に浸かることで抵抗力も増すのだそうだ。元々持っている自然治癒力を高める効果もあるらしい。昔の「湯治」も同じ効果を生んでいたんだろうなあ。
そして長時間の入浴は疲れやすいから、半身浴を勧めていたのだな。患部がお湯に浸かっていなくてもよくて(お湯できれいにする、という意味ではないので)、ともかく「入浴する」という行為が効果を生むらしい。

全然湯たんぽと関係ない話になったな。ま、こういう昔ながらの暖房法が効果があるということで。


WindowsUpdateの変な感じ

夕方、夕食の後、面白いテレビもないので、いつものようにベッドに横になりながら読書でも、と思って横になったらそのまま寝てしまった。そのまま3時間ほど熟睡。いやあすっきりしたなあ。
人間、寝たいときに寝るとこうなるのかなあ。とてもすっきりした気分であるよ。もう寝付けないとか、そういうこともナクね。

昨日、今日と、2日がかりで会社のパソコンの設定をしていた。WindowsXpがインストールされているんだけれど、社内LANに入れるようにして、念のためWindowsUpdataをして。
と、このアップデートが時間がかかった。まずはXpのSP1のアップデート。これが69件も出てきて。ダウンロード、インストール。その後「実行ファイルのクリーンアップ」なんてこともあって(「終了します」と表示されてから、ずーっと動き続けるのだな。なんともじれったい)、ようやくアップデート終了。再起動。
念のため、ともう一度アップデートをチェックしたら、今度はXPのSP2へのアップデート、というのが出てきた。サービスパック1からサービスパック2へのアップデートだと。これをしないと、最新のサービスに対応できないのだそうだ。で、アップデート。しかしこれが信じられないくらいに時間がかかり。結局起動させたまま退社。というのが昨日の状況。ホンマは良くないのだろうけれど、何の作業も出来ないパソコンを前にぼーっと待ってるだけなのもアホらしい。

今朝出社したら、ちゃんと終了していた。よしよし。再起動。
念のため、もう一度アップデートチェック。SP2になったわけやしね。いままでと違うアップデート情報があるはず。
あった。60件以上。またまたアップデート。ぐるるるる。そして再起動。

まあなんとかすべては順調に進んだわけやけど。ここまでやってきて思ったがな。
なんで最初にSP2のアップデートがないの? まずはSP1のアップデートをしてから、というステップを踏むのはなぜ? 手間がかかりすぎ。というか、意味ないと思うのになあ。アップデートだけで結局1日半つぶれたわけで。なんかこれって、変な感じであるよ。新品のパソコンやったのに。


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1月19日(金)

モーツァルト気分

思い立って、モーツァルトのCDをmp3に変換して、昼休みに聞きながら昼寝や読書をしていた。
よくヒーリングなんて言って、モーツァルトの音楽が心を癒すのだとかなんとかいうコマーシャルをやっているけれど、僕はそんなにモーツァルトが「とってもいい!」とも思っていないのだなあ。そんなにしょっちゅう聞きたいとは思えへんし。

しかしだなあ、昼休みに昼寝をしたり本を読んだりするときに、mp3で聞くのにはちょうどいいというか。なんとなく急に聞きたくなったのだ。いままでだいたい聞くのはロック、イエスとかクリムゾンとかドアーズとかだったのだが。なんとなくもっと優しい音楽の方がいいなあと思ったのだな。というか、ロックだと「聞いて」しまうのだなあ。心が躍ってしまって、昼寝も読書もなくなってしまう。
で、モーツァルトなんかいいんじゃないかと思ったわけ。

実は会社の入っているビルは、ビル全体でBGMを流しているのだ。ただし公共スペースだけ。つまりオフィスの中には流れていなくて、エレベーターホールとかトイレとか、そういうところには聞こえるように流れている。それがだいたいクラシックなのだな。まあ一番無難なところ、なんだろうなあ。それも室内楽が多いのだな。それもまた無難。

大きな音で流れているわけではないので(どうかするとほとんど聞こえないときもある)、BGMとしてはいい感じなのだな。オフィスの中まで聞こえてこない、というのもいい。

ま、それは関係ないんだけど。昼休み、昼寝をしたりするときには必ずmp3プレーヤーをイヤホンで聞いてる。これはまあ、耳栓の代わりでもあるのだな。まわりの音を遮断する。それでよく眠れるというわけ。

で、今日はモーツァルトを聞いていたのだ。
と、ここまで書いて、これは音楽のページに書くことなのかなあという気がしてきた。聞いたのはクラリネット協奏曲とオーボエ協奏曲。どちらもいい気分になる音楽であったよ。演奏もよかった。
ううむ。たまにはモーツァルトやねえ。確かに気分が落ち着くような気がする。


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1月20日(土)

信頼で成り立っていること

ちょっと前に書いたけど、先日玄関でたまたまガスメータの検診結果のシートをもらったときに思ったんだ。ここに書かれてあるのは、きっと正しい。そう思って僕は受け取っているって。
ガスメータだけじゃなくて、水道のメータもそう。電気代だってそうだ。郵便ポストにシートだけがほりこまれいて、それを僕らは見て確かめるだけだけれど。あれって「正確に計っているのかどうか」っていう保障はドコにもないわけで、でも差し出されたデータを僕らは信頼して、そこに書かれてある料金を払っている(実際は銀行から振り込んでいる)わけだ。
あ、そういえばその銀行だって、ここに書かれてある料金どおりにきちんと振り込んでくれる、とドコかで信頼しているなあ。それは後で確かめることが出来るけれど。

お金の問題だけじゃなくて、例えば今こうして利用しているインターネットだって、大した危険はないはずと思ってやっている。タクシーに乗れば運転手を信頼する。タクシーだけじゃなくて、乗り物に乗ったら運転手は信頼しないとどうしようもない。それがイヤなら自分で運転ということになるけれど、そうすると今度は車を作ったメーカーを信頼しないとダメだし、信号機や道路標識も信頼しないとだめ。とにかく「信頼」からは逃れられないのだなあ。

そうやっていろんなことで、僕らは見ず知らずの相手に対して信頼して生きてるんだなあ。
でもそういう信頼を裏切られたら、さてどうしたらいいだろう。
などという事件が立て続けに起こっていて、ほんとうにさてどうしたらいいんだろうと思ってしまう。

不二家の事件に始まって、USJでの賞味期限切れのお菓子の販売、そして「あるある大事典」
「あるある」は衝撃やったなあ。あの番組のおかげで各所で納豆が売り切れになってるし。
いやそれよりなにより、使っていたデータが全部捏造やったってことがオドロキだ。

そういえば韓国でもあったなあ。データの捏造。日本でもあった。こないだ「クローズアップ現代」で特集してた。
しかし今回の「あるある」は、どうやらあらゆるデータが「はじめに納豆ありき」で作られていったみたい。そしてそれにのって、納豆が品切れになったってことが、怖いよなあ。

テレビでやってること、放送されたことはある程度ホンマやろうと思ってるからね。ホンマじゃなかったら放送はされへんやろうと。それはテレビを信頼してるからやなあ。
でもごくたまに「ちょっとだけホンマ」とか「まあまあホンマ」というレベルの話もあって。時々そういうのがあって、それをある程度認識させてくれた上で放送してくれるのは楽しいんだけれど。
でも「あるある」の制作態度はちょっと違うと思ってた。いやいや、今までそんなに信用したことはありませんけどね。あるあるもおもいっきりも。

やり方は決まっていて、どっかの大学の教授とか助教授とかの専門家が出てきて(どこの大学でもよろしい。今回のようにアメリカならちょっと箔が付くかも)、それらしい学説を披露する。
と、その学説の是非についての検証などなしに流してしまうのだな。(今回はその教授が言ってもいないことを放送したらしい。もっとひどいよなあ。あきれるね)
すると、エライ先生(どれほどエライのかよく分からないが、とにかく「教授」だ)が言うのだから、まず間違いない。となるのだなあ。
ひょっとして、番組スタッフも「間違いない」と思うのか。だから検証もなしに流すのか。そうかもしれないなあ。

こういうことがあこると、さて何を信頼していいのか分からなくなる。でも生きていく上では何かを信頼しないとどうしようもないので、あるところで妥協して(ちょっとよくない表現かなあ)信頼するしかないねんなあ。それで裏切られたら、まあ運が悪かったとでも思っときましょう。


ふたたびのUSJ

昨日、上の姉からメールがあって、USJに行こうと思うんだけど、どんな感じか教えてくれと。
そのメールに触発され(たんだろう)、先週に引き続きUSJへと行って参りました。

今日はセンター試験があるから人出が少ないのでは、と思ったのは甘かった。わんさかと人がおりましたなあ。心配していた天気もよくなって、人出が増えたのかなあ。
考えてみたら、センター試験に行くような人は先週も来てるわけがないわな。勉強にいそがしいんやし。来週、どっと押し寄せるのでしょう。あ、まだ入試はつづくのか。どっと押しかけるのは2月にはいってからか。

そんなことはともかく。先週はぶたこのお母さんも一緒に行ったので、ちょっとのんびりだらだらモードでまわって、あんまり刺激の強いのはあかんやろなあってことで(それでもターミネーターはちょっと怖かった)、ターミネーターとウォーターワールドの2本立てで満足したんですが。
今日は朝から(先週は11時をまわってからの入場)出かけて、10時過ぎに入り口に着いて、まあ並んでないところからと思って、アニマルショーの「トト&フレンズ」と、今だけのミュージカル「ウィケッド」をまず見まして。

子供向けかと思った(たぶんそうでしょう)「トト&フレンズ」だけど、次々出てくる動物の動きが楽しくて(たいしたことはしてないんだけど)面白かったなあ。
僕らが座ったところのすぐ前の席に囲いがしてあって「VIP」と書いてあったので、誰が座るのかなあと思っていたら、途中の動物ショーのときに、劇の主役のドロシーとカカシさんが座りに来て驚いたよ。なかなか面白かった。

「ウィケッド」はブロードウェイミュージカルのダイジェスト版ということらしいけど、歌は英語と日本語と半々。舞台の両側に日本語の字幕も出るので、英語が分からなくても楽しめる。なによりこの主役の魔女役のボーカルが光っていて、字幕を見る暇がないくらいに引き込まれてしまったよ。
本物のミュージカルもきっと面白いんだろうなあ。

お昼を過ぎて、お腹がすいたので一旦パークの外に出て(年間パスの気楽さよ)、シティウォークのうどん屋さんで腹ごしらえ。

パークに戻って、「スパイダーマン」と「バックドラフト」を見てホボ満足。
「ウォーターワールド」はどうするかなあ、まあ見なくてもいいか。というわけでその入り口付近で座ってポップコーンを食べていたら、係りの人が寄ってきて、
「ウォーターワールドをご覧になりますか?」
いや、見ません、結構でございます、と返事すると、ニコッと笑ってまわりで休んでる人に順番に聞いて回っていて。へえ、丁寧にしてはるなあ。
と思ったら、数人の係員がいきなり入り口の前100mあたりのところに並んで両手を広げ、
「ただいま満席となりました! ご入場は出来ません!」
エエっ? 急にそんなことになるんですねえ。しかも入り口じゃなくて、その前100mぐらいのところで止めてしまうのね。
そんなやり方するのかあ、と思ったら、なんとその係員の間をすり抜けようとする人たちが。あらまあ。なんかちょっと、げんなり。そんなに必死にならんでも。
で、それを見た人がまたあとから突破をしようとしたりして。ちょっと険悪なムードになって、どうなることかと思ってみてましたが。
結局、はじめに突破しようとした人たちも、入り口のところで止められて戻ってきはりましたがね。そうか、こういうことがあるから入り口前100mのところで人を止めるのかあ。よお考えてはるなあ。

ま、今日で2回行って、年間パスの分は元を取った勘定になるので、あとは気候がよくなったとき(水をかぶるアトラクションも多いからね)、また見に行こうかな。といいつつ、すぐに行ってしまうかもしれませんが。なにしろ近い。安い(会社に行くより安いということに気がついた)のだ。


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1月21日(日)

くもり

いい題名が思い浮かばない。だから今日の天気。くもり。

昨日書いた「大学の教授」云々は、今回の事件とはちょっとニュアンスが違うなあ。自分の文章能力の低さに嫌気が差す。いつも気になっていることと、今回の事件とをごっちゃにして書いてしまっている。
いつも気になっているのは、とにかく「大学教授」とか「専門家」という肩書きの人が出てくるってことで、今回のは、その人が言ったことをねじ曲げて放送したってこと、というか、ほとんど違うことを日本語訳のテロップで出していたってこと。
昨日の僕の書き込みでは、その両方を書こうと思ってごっちゃになって、何が何やらという文章になっているなあ。
書いているときは興奮していたからだだだっと思いつくまま、つまりは頭の中で整理がつかないまま書いてしまっていて、後で読み直すと話が繋がっていない。そういう時ってあるわな。

昨日たっぷり遊んだ分、きょうはいろんな用事を済ます日。
3日前に干した洗濯物を取り込み、今日までの洗濯をし。猫の砂を買いに行き、ついでにフライパンも購入。どちらもコーナンで売ってるのでね。
サンディで買物もし。図書館で本を返却し、新たに本を借り。
昨日、おとといとサボっていた食器の洗い物をし。ついでに買ってきたばかりのフライパンも洗って、いつでも使えるようにした。

フライパンって、昔はもっと高かったような気がするなあってぶたこと話していた。今回買ったのはテフロン加工のもので、1380円。直径30cmの大判だ。ぶたこは、これで料理がしやすくなると喜んでいる。こんなぐらいのお金で喜べるんだから、安いもんだよなあ。考えたら、ふたりで晩ご飯を外食するより安いくらいのお金だ。

いろんなものが安くなっているんだなあ。昨日もUSJに行ってきたわけだけど、僕は近鉄の定期を持っているので、鶴橋からの交通費だけしか要らなくて、それだと190円しかかからないのだ。往復でも380円。安いなあ。
今日の昼食は、サティの食品売り場で買ったお弁当。ミニ弁当だけど298円。これでおかずは十分だし。お昼ご飯としてはちょうどいい。ぶたこと一つずつ、それにインスタントラーメン(タイで買ったもの)をふたりで半分こしてお味噌汁代わりにしたらそれでホンマに十分な良だったよ。
こんな暮らしでも十分やなあとおもうなあ。だから安い給料でも暮らしていけるんだけど。ほんまにいい国に暮らしてるんやなあって思った。

今日は、合間の時間は読書。なんかテレビを見るのがしんどい日。あ、「あるある」のお詫び放送は見て。同じ時間に放送していたNHKスペシャルのGoogleの特集も、録画しておいてあとで見た。面白かったなあ。ちょっと、怖い面もあるけれど。どこまでこの世界(ITの世界)は進んでいくんだろうか。僕らが生きている間に。そしてその先。


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1月22日(月)

電車のマナー

マナーという言葉自体は、あんまり好きじゃない。誰が決めたんだ、と言いたくなるときもあるしな。食事のマナーとか。礼儀作法とか。あ、「作法」という言葉もあんまり好きじゃないなあ。

しかし、「こうすれば多くの人が便利」というようなことはアルと思うなあ。早い話が電車のマナー。
お年寄りに席を譲るとか、そういうことではなくてね。ドア付近に立っていたら、電車が止まったときには乗り降りする人を通してあげるとか。こういうのは気がついてスッとやると時間の節約にもなると思うのだけれど。最近は気がつかない人が多いような気がするなあ。そういうのにたまたま行き当たるだけかなあ。

電車の乗り降りでも、降りる人が優先。どう考えてもホームよりも電車の中の方が狭いからね。降りる人がいなくなるのを確かめてから乗り込んでも十分間に合うのだが。慌てて乗り込む人って結構多いよなあ。車掌さんが見張っているから、乗る前にドアが閉まるということはほとんどないと思っているのだけれど。「そうはいってもひょっとしたら」という強迫観念に捕らわれている人が多いのだなあ。

今日も駅に着いて、さて降りようと思ったら
「すみません、すみません」
といいながら先に乗り込んで来る人がいるんだなあ。それが車椅子なんだ。電動のじゃなくて普通の車椅子で、男の人が乗っていて後ろから女の人が押していたんだけれど。
乗り込んで来る車椅子をよけながら降りないといけなかった。こういうとき、困るよなあ。車椅子は通してあげたいけれど、自分は降りたいわけで。
いや、やっぱりよく考えたら、車椅子といえども降りる人を待ってから乗ってきたらよかったのだ。そういうマナーは、やっぱり要ると思うなあ。

昨日は、電車から降りて
「はあー」と一息つくおばちゃんが居てて。おいおい、後ろから人が来てるのに、ドアを出たところで立ち止まられては困るがな。
ということはちょっと考えたら分かりそうなことなんだけど、その場になると案外自分のこと以外は気にならなくなってしまうのだろうなあ。
こう言ってる僕でも、知らない間に誰かの邪魔をしていたり誰かに迷惑をかけているのかもしれない。そう思って、そういう人たちのことも大目に見てあげようと思っているのだ。

近鉄電車では特にそうなってると思うんだけど、だいたいの人が出口の近くに居座りたがるのだなあ。居座るといっても、そこに立っているんだけれど。奥の方はガラガラに空いてたりする。
僕はいつもその奥の方に行くようにして。そこだと堂々と本を広げて読むことができるのだな。よっぽど混まない限り、まわりには誰もいない状態。
でも目的の駅に着いたら、必ず降りることはできる。今まで奥に立ちすぎて降りられなかった、ということは全くない。ドアの前に立ったときのように、駅に着く度に乗り降りのお客さんに押されてしまうということもないしね。
あんなに楽なのに、どうしてみんな奥に行かないのかなあ。


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1月23日(火)

電車のマナーその2

近鉄ではドアの近くが満員で奥の方が空いているというのが目に付くのだが、いつも乗っている阪急電車(地下鉄なのだが阪急と相互乗り入れしている)では、8人は座れる座席に6人、ひどいときには5人で広々と座ってはるときがあって。
特に帰りに乗るときがねえ。立ってる人も多いのだけれど、なかなか詰めて座ってはくれないのだなあ。
これおそらくは、電車の始発の駅ではガラガラなのだろうなあ。僕が乗る駅では、結構混んでくるのだけれど、それまでは空いている。だから座席も余裕をもって座ってしまうのだろうなあ。
でも、だったら混んで来たときに詰めてくれてもいいのに、と思うのだけれどね。

まあ、それが難しいことはわかるんだけど。なぜって、だれかひとりが広々と座っているわけじゃなくて、5人なら5人がちょっとずつ広々と座っている。
だから、一人分の座席を空けようと思ったら、3人ぐらいが協力してちょっとずつ席を詰めないといけないのだね。これがどうも、出来ないみたい。

ひとりが詰めただけでは効果がない。となると「自分ひとりが詰めてもダメ」となって、「どうぜ誰も詰めたがらない」につながっていくのだろうなあ。
結局、かなり余裕を持って座っているひとたちは、まわりに立ってる人が少々増えても、なかなか詰めてくれない。まあ仕方がないか。ちょっとの間やから。


マイクロソフトアプリケーションの互換性

仕事で、マクロソフトビジオのファイルの修正を頼まれた。ビジオ(VISIO)、というのはお絵かきソフトだ。
他の支社が作ったデータがビジオデータだったのだ。ところが、うちの課ではビジオを使ったことがない。というか、どのパソコンにもインストールされていない。
試しに他のアプリケーション(イラストレーターとか他のオフィスアプリケーション)で開こうとしたがダメ。全部ダメ。
さいわい、部で購入した分があったので、それをインストール。他の支社から送られて来たデータを読み込んで修正・・・・のはずが。

「このファイルはバージョンが新しいか不明なので読み込めません」

なにぃ!
他社のアプリケーションと互換性がないのはマダしも、自社の製品、しかもバージョンが一つ違うだけやというのに、それだけで開けなくなるとは!

仕方なく支社に連絡して、バージョンを落として保存したファイルを送り直してもらった。あああ。
ますますマイクロソフトに信頼がなくなっていくであるよ。ホンマ、最低。


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1月25日(木)

教育法案

朝刊に、教育再生会議の報告の要旨が載っていたのだ。つっこみどころが満載という感じだったなあ。
なにしろ、教育の専門家といっても(専門家でない人が多いのか)委員の多くは功なり名を成し遂げた人で、いわば競争を勝ち抜いてきた人なのだなあ。そういう人たちが、どんな教育を目指すのか、と考えると、どうも僕の考えていることと離れていくだろうなあというのは想像できる。まあ離れていったっていいんだけどね。口を差し挟むこともでけへんやろし。

途中に「美しい国、日本」というフレーズが出てきて、ああ今年は(というか安倍内閣が続く限り?)このフレーズからは逃れられないのかもしれないなあと、ちょっとげんなりした気分になった。まあ中心に据えているスローガンなんだから、仕方ないけどね。でもいまだに分からんのだ。「美しい国」とはどんな国? まあいいや。

学力の向上を目指すらしいし、そのためにゆとり教育も見直すらしい。ゆとり教育っていうのがそもそもどんなものだったのか、よくは知らんのだなあ。子供もいないしね。

教員の免許制度も変えるつもりらしい。どんな風になるのやら。

「いじめをなくす」のと「学力向上」と、両方を成し遂げるためにどうするのかなあ。ちょっと読んだだけやと、その両方が別々の事柄として考えられているようにも見えるなあ。できるヤツはどんどん出来るように、アカンヤツは締め出していくのかも。それでどうなる? できるヤツの学力は上がるんだろうなあ。で、そこに入れなかったヤツらは取り残されていくと。
でも「国」全体が向上すれば、それでいいのか。どうも納得いかん。納得いかんのだが、だったらどうする、と言われても何にも思い浮かばん。困ったなあ。

どうも国中で「ど貧民ゲーム」をやっているような気がする。いや、前からそんな気がしてたんやけど。
お金をたくさん持っている人はそれを元手にさらに大金持ちになり、元々お金があんまりないひとはどんどん困窮していく、みたいな。つまり、ハンデを背負ってしまうような。それは最初のジャンケンで決まるような。ほんとはそんなことでは困るんやけど。
で、教育もそうなっていくのかなあ。試験でいい点を取ったら上に上がっていって、どんどん良いコースに乗っていける。でも良い点が取れなかったらどんどん下のコースへって。
でもなあ、試験をしたら必ず順番が付いてしまうのであるよ。みんながみんな1番にはなれないのだよなあ。2番がいて3番がいて、そしてベッタも必ずいるのだ。ベッタになったらどうなるの? ベッタの人生しか残っていないのか。

だいたい今の学校や教育が「末期的」だというなら、その原因は何なんだ、という議論はあったのかなあ。

今朝、「とくダネ!」に山谷えり子が出演していて、「しっかりときっちりとやっていきます」と言うてたけど。「しっかり」と「きっちり」を強調する政治家ほど信用できないものはないしなあ。


今日は星野仙一SDの、オリンピック日本代表監督就任といううれしいニュースもあったんだけど。
なんかテレビの論調が「金メダル」「金メダル」で、ちょっと閉口してしまうなあ。そらまあ、金メダルはとって欲しいけどさあ。まだ予選も通ってないのに、そんなに煽ってもいいのかなあ。

いや、星野さんは大好きだし、頑張って欲しいんだけど。ここぞって感じではしゃぎすぎてるような。


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1月26日(金)

一回り

昨日の星野さんの会見で「今年は60歳の節目で」という話が出ていて、それは星野さんのHPでも言われていたのだけれど、そうか、亥年生まれなのか、つまり僕と同じ干支、一回り違うんだということに今日ようやく気がついた。

人間はおかしなもので、誰かとほんのちょっとした共通点があると急に近しい存在のような気がして(星野さんは以前から好きなんだけど、それ以上に)、親近感が沸くのだな。
それと同時に、自分と重ね合わせて(半ば無理矢理に)どうしてこんなに自分と違うのだろうと考えたりする。そして12年後の自分を想像して、こんな風になれているだろうかと思うと、ちょっと落ち込んだりするのだ。その落ち込みも自分勝手な想像の産物なんだけど。

さらに、12年前、この人は今の僕の年で(当たり前やけど)あったわけで、その年になっている自分はどうなんだろうと、これもまた自分と重ね合わせたりするんだなあ。そんなことしても、なんにもならないのに。
そう、なにもならんとあきらめて(ここで一念発起すれば全く違う人生になるんだろうけれど、そうはならないのだ)、今の人生もそれなりに味のあるものだったと思い直すのです。


今日は午前中コーラスの練習、午後はお仕事。ここのところお仕事が忙しい。同時に2,3人から「今日中にお願いします」と言われたりするのが続いている。まあなんとかこなしていける量なのでなんとかなっているけれどね。
今日みたいに午前中にかなりのエネルギーを使ってしまうと、午後からの仕事にかかろうと思ったら(昼食をたっぷりとった後ということもあって。しかもいつもの昼寝の時間がない)、なんだか体温がいつもよりちょっと高めになっているような感覚になって、つまりそれは「眠い」ということなんだけど、ちょっとだけ仕事の効率が落ちてしまうのだな。
でも「今日は仕事の効率が悪いぞ」と自覚していたら、なんとかそれに見合った仕事の仕方も出来るようで(経験がものを言うのか)、なんとか無難に一日を終えることができたのであった。めでたし。


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1月28日(日)

ゆうパック

昨日の朝のこと。宅急便が届いた。新潟の「パール金属」という会社からだ。
以前買ったマグボトル。3本買ったうちの1本の調子がどうもおかしい。ほかの2本は保温も十分出来るのだが、1本だけが保温がよくない。冷たいものを入れてもすぐに平温に。
それ以上に困るのが熱いものを入れたとき。ほかの2本は飲むときに気をつけないといけないほど(うっかり飲んでしまうほど)、本体が熱くならないのだが、この1本は熱いお湯などを入れると、持てないくらいに熱くなるのだ。

ぶたこがそういう苦情を(ダメ元で)製造元の「パール金属」にメールを出したら、
「取り返させていただきますので、着払いで製品をお送りください」
という返事があったのだった。そこでローソンからゆうパックで送ったのが木曜日である。

で、代わりの商品が送られて来たというわけだ。おわび状も付いて。もちろん送料も会社持ちである。いやあ、よくできた会社だ。ちょっと好きになったりして(げんきんなものだなあ)

そして夕方。郵便が届いた。はがきが。何かなあと見たら、郵便局からの「ゆうパックお届け通知」
「ゆうパックでお届け完了しました」
ああ、そういえばゆうパックを頼むときに「お届け通知」(相手に届けたという通知)を送ってもらうようにしていたなあ。
って、もう代わりの製品まで送ってきてるがな。遅すぎるっちゅうねん。

まあ、もしもの時のための通知なんだろうけどね。サービスが行き届いているんだかどうなんだか。


成人ということ

国会が始まったのだね。そのとたん参院の副議長がやめたりして、なんか波乱含みかなあ。与党は多数派の強みで(それと小泉政権時代から続いている「強気に押せばなんとかなる」路線かなあ)、結構強気な政策を安倍内閣は訴えてるみたいだなあ。
全部見てない(ニュース報道のダイジェストだけ。あと新聞の要旨と)んだけど、安倍首相は相当強気だなあ。教育改革とか憲法改正とか。ほんまにやってきそうやなあ。
なにしろ自衛隊の海外派兵は、何の制約も無くなったもんなあ。そんな日がくるとは思わなんだよ。

色々改革したいらしいけど、実はずっと前から変われへんかなあと思ってて、というか近い将来に変わるんやろうなあと思ってて、ところがさっぱり論議にものぼらない問題があるんだなあ。それは選挙権でね。
近い将来、18歳からの参政権というのが認められるんちゃうかなあと思ってたわけ。もうかれこれ30年近く前に。
でもそんな論議、ほとんど出えへんもんなあ。それどころか、国民投票を18歳からにするかどうかでもめてるねんなあ。

だってなあ、18歳になったら税金を払うのであるよ。住民税。市民税府民税。年金も払わなあかん、というてるでないの。
税金を払って、でも政治に参加できないというのは、どう考えてもおかしいと思うのだけれどねえ。

ほんとは僕は18歳と言わず、義務教育が終わって16歳からでも選挙権を与えたらええんちゃうかとも思ってる。だって義務教育が終わったということは、国民として生きていく自主性も育ってるということでしょう。
いやそうは簡単にはいかないよ、義務教育が終わっても選挙権を与えるほどの人間になっているかどうかは分からんデハないか、と言うかもしれないけれど、それは義務教育が終わるまでにそういう人間に出来なかった大人の責任であると思うなあ。
で、ひょっとしてトンでもない選挙結果が出たとしても(今の日本でそんなことは起こりそうもないけど)、それもそういう人間になる教育をした大人の、あるいは社会の責任なのだから受け入れないといけないと思うねんけどなあ。

などと考えていて、ふと今朝の新聞の読者投稿欄を見ていたら、
「成人(20歳)にはなったけれど、本当に『成人』と呼ばれるようになったかどうか、自信がない」「30歳くらいになったら『成人』といえるのではないか」
という新成人の投稿があったのだなあ。

まあ確かに、20歳になったから急に大人になるわけはないんだけど。だからってそれから10年経ったら「成人」と呼ぶのにふさわしい人間になるかというと、そうとも限らないのだし、それどころか何十年経っても「大人げない」「子供みたい」な大人はいるのだなあ。
だから自信を持っていいと思うのだけれど。そして権利を主張すればいいと思うのだなあ。

「きちんと責任を取れる人間になってから、権利を主張する」というのでなく。権利を持ったときに自覚する責任というのもあるのだから。
その意味でも、選挙権っていうのはもっと早めても何も問題ないと、思うのだけれど。でもいつまでも変わらないみたいだなあ。
変えられるのは、今選挙権がある大人だけなのに。あ、そこが問題なのか。


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1月29日(月)

近頃の更新

読書日記を更新しました。ってわざわざここに書くのもなんだけど。いや、以前は更新記録も書いてたなあ。
ここのところよく本を読んでいるので、読んでて感想を書いてない本がたまってきててね。ようやくちょっと書いただけ。

映画になると、年末から、暇なときにはDVDとかも見ていたのだな。それもかなりたくさん見たぞ。でも何も書かないでいるなあ。
書かなくても誰も困らないけどね。ただ「どんな映画を観たか」の記録がない。さて、それを見たとき自分は何を考えただろう。というのは書いておいたら、あとで読んでみて楽しいかも。
そうそう、映画の中で、ゲーリー・クーパー主演の「真昼の決闘」を見たんだけど。むかし見たときはエエ映画やなあ、共演のグレース・ケリーもええなあと思ったんやけど、改めてDVDで見てみたら、どうも主人公の保安官の身勝手さみたいなものが鼻につくのだなあ。そういう風に見るときによって印象も変わるのだな。それは映画だけでなく音楽とか本とか絵画とかでも一緒だろうなあ。その時の自分の気持ちとか感情とか、人生経験とか社会情勢とかで印象は随分変わる。
でも、そういう見方でいいのだと思うなあ。
僕は古い映画、古い物語(古典文学)が結構好きだけれど、必ずしもそういうものを見なければ映画のよさ、物語のよさが分からない、とは思わないのだな。新しい映画新しい物語には、きっと昔の映画や物語のエッセンスのようなものが生きているのだろうと思っているからなのだけれど。

また表題と全然関係のない話であった。


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1月30日(火)

帽子

1月も終わろうとしているのに、全然寒くないのだなあ。異常気象かなあ。たぶんそうなんだろう。これが何年も続いたら、本格的な地球温暖化、ということになるのだろう。とのんびり構えていてはいけないのだろうけれど。
今日のニュースでも、氷河が薄くなっているとか。ああそういえば、南の島国で、島全体が海に沈んでしまう危機になっているという話もあったなあ。国土がなくなってしまうなんて。どうなるんだろう。昔「日本沈没」という小説があったけど。

今日は昨日以上に暖かかったんではないかなあ。いつもこの時期、マフラーにニットの帽子に手袋を用意してるんだけど、そのどれもが要らない状態だ。
朝、ニットの帽子をかぶってマフラーをして(手袋をするほどでもなかったのでリュックに入れて)出かけたんだけど、あんまりあったかいものだからマフラーも外し帽子も脱いでしまったよ。

毎日帽子をかぶるようになったのはいつからかなあ。まあおしゃれでかぶってるわけだけど、冬場は防寒の役割もしている。夏場は夏場で帽子をかぶらないとまぶしい(自分がまぶしいのではない)ので夏場もかぶっている。というわけでだいたい毎日、出かけるときにはかぶっているのだな。
今日は暖かすぎて(暑すぎて。帽子の中で汗ばんで来たので)脱いだわけだけど。普段かぶっているものがなくなると妙な気分になるもんだ。なんというか、無防備な気分に。

よく女の人が「化粧をせずに外出するのは、裸で歩いているのと同じ気分」と言うけれど、それに似ているんではないかなあ。
頭が無防備になって、なんか「裸になってる」という気がするのだな。

しかしそういう気分も、家を出て5分もすると慣れてしまうものだ。電車に乗る頃には帽子をかぶっていたかどうかも忘れていたよ。
ついでに、毎朝持っていくことにしているマグボトルに入れた紅茶も、マグボトルごと持ってくるのを忘れたのだなあ。ま、それは話のオマケ。

昨日の夜中、0時にWindowsVistaが発売になったのだな。「とくダネ!」で笠井さんが画面をいじっていろいろ説明をしていたけれど。あれもできます、こんなこともできますという説明ばっかりで、肝心の「今までのパソコンでもさくさく動くのか」とか「いままでの不満を解消できたのか」とかいう話はなかなか出てこないなあ。
あ、漢字の表示が変わったとかいう話があったな。ま、たいした話ではなさそうだけど。
じゃあ大した話は何? と聞かれると困るけど。そうやなあ。ホンマは「もっと軽く!」と言いたいところなんやけど。

と、オマケの付け足しの話。


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1月31日(水)

1月の終わり

きのうのNHK「クローズアップ現代」に不二家の新社長が出演していて、いろいろインタビューに答えていたけれど。いや正確に言うと「答えていなかったけれど」やな。
細かいことは覚えていないけれど、司会の国谷さんの質問にまともには答えず、自分の主張、自社保身の弁明をしているだけ。ちょっと国谷さんもイライラしているように見えたなあ。

社長の主張の趣旨は、
「不二家の社員は今までどおりにやって来ていた。ただ社会情勢が今までどおりでは納得しなくなってきていた。それを感じ取ることができなかった」
だいたいそういうように聞こえたな。
ともかく「自分たちが悪かった」とは言いたくないみたいだ。それを言ってはおしまいなのか。
「マニュアルにとらわれずに、各自の経験でいいものを作ろうとした結果」なんていう言い分けもしてたなあ。そのマニュアルがそもそもおかしかったのに。それには答えず。なんだかなあ。
結局、不二家に対する不信感を増すだけの結果になってるってこと、この人は分かってるんやろか。どうにもならんような気がしてきたなあ。


今日も昨日に引き続いて暖かい一日だった。夜、仕事終わって、ぶたこと友人と3人でミナミの風月で食事、まえだでだべっていたのだが、夜になっても寒くなることがなく、帽子もマフラーもいらなかったな。
いつまでこの陽気が続くんだろう。と思っていたら、天気予報では今週末には寒波がやってくるらしい。ようやく冬到来か。


そうこう言ってる間に1月も終わりだ。はやいなあ。2月もこの調子なのかなあ。
このページに書きたかったことで、書ききれてないことがとてもとてもたくさんあるような気がするなあ。そうそう、本の感想もたまってるし、なにしろ映画! DVDをいっぱい見たのに、全然何も書いてない。まあ書かなくてもどおってことはないねんけど、どんな映画か忘れてしまいそうになるよなあ。
音楽だって、毎日お昼休みには聞いてるんだし、それだけじゃなくてテレビで流れてる音楽だとか、そういう感想も書きたいんだけど。
来月のお楽しみか。誰が楽しみにするんだか。


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