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映画の部屋


【陽のあたる場所】(1951年・アメリカ)
【ブリジット・ジョーンズの日記】(2001年・アメリカ/イギリス)
【我らの生涯の最良の年】(1946年・アメリカ)
【街角 桃色の店】(1940年・アメリカ)
【オール・ザ・キングスメン】(1949年:アメリカ)
【タクシードライバー】(1976年:アメリカ)
【落ちた偶像】(1948年:イギリス)
【群衆】(1941年:アメリカ)
【アラバマ物語】(1962年:アメリカ)
【独立愚連隊西へ】(1960年:東宝)

独立愚連隊西へ(1960年:東宝)

行方不明になった軍旗を探すことになった、札付きの部隊「左文字部隊」。その活躍を描く戦争映画。えっ?戦争映画?そうか。戦闘場面は少ないねんけどな。人が死ぬシーンすら少ない。

痛快な映画、っていうのは珍しいなあ。最近では「オーシャンズ11」がそうやったな。で、これは最近ではなく、1960年。

痛快なのは、戦争映画でありながら、戦争讃美ではないってところか。それどころか「人の命は重い」ってことを、繰り返し画面で言わせてるし。それに、残酷な戦闘シーンもほとんどない。それどころか、中国の軍隊と仲良くなったりして。
なんか、おおらかやなあ。
まあ、多分1960年という、当時の時代もあるんでしょう。民主主義が浸透してきて、みんなが戦争はいかんと強く思ってて、そのうえどっかに社会の歪みを感じててっていう。そういう時代の雰囲気が、なんとなく画面にでています。

音楽もいい。思わず画面と一緒に口ずさんでしまいそうなフレーズ。この映画、初めて見たのは確か40年近く前やと思う。でもこのメロディーは憶えてたもんなあ。

こういう映画を日本でも作ってたんやねえ。最近は、殺伐としてるなあ。戦争映画といえば戦闘シーンがウリで。そうでなかったら感動、感動や。それだけやないものを岡本喜八監督は作れてたってことやね。

残念なことに、白黒映画で、画面がそんなに美しくない。途中で見にくいところもあり。特に夜のシーンでは、誰が何をしてるのやら(よく考えたら分かるねんけど)っていうところもあってね。
フィルム代、高かったんやろなあ、当時は。

(2005/5/4)

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アラバマ物語(1962年:アメリカ)

ぶたこが原作を(原語で)読んで、いたく感動したもの。DVDで500円で買える。エエ時代になったもんや。アマゾンで購入。
500円だけあって、日本語字幕しかありませんが、映画を鑑賞するには十分でしょう。

ぼくは原作を読んでいないし、映画は主演のグレゴリー・ペックがアカデミー賞をとったことは知ってたけど、どういう内容かという詳しいことまでは知らなかった。見たことなかったし。

アメリカ南部の町で暮らす弁護士アティカスとそのふたりの子供たちの話。アティカスは黒人の弁護を引き受けることに。しかし町の人は黒人の言うことなど信用しない。さて裁判はどうなるか。というのが一つの大きな筋。

もうひとつ、隣人の謎の人物との関係があるんだけれど、それも含めて、「人と人との関係」とか「偏見」といった問題を正面からとりあげていて、本当にいい映画でした。

裁判が終わって、虚しく法廷をあとにするアティカスを、傍聴席の黒人が起立して見送るシーンは感動的やったな。音楽もなく、華やかな演出もなかっただけに、心に残るシーンでした。

原作を読んだぶたこにとっては、いろんなシーンがカットされているのが気になったらしいけど。そりゃ原作をそのまま映画にするのは無理やわなあ。でも結構おもしろいエピソードがカットされていて、それを知っていると映画のひとつひとつのシーンの意味が、また違って見えてくるらしい。うーん、そういう話を聞くと、原作を読んでみたくなるな。

原題は「To Kill A Mockinbird」「ものまね鳥を殺す」という意味か。(映画の字幕では「ツグミ」となっていた)
そうやなあ、ぼくらは罪のないものまね鳥を無視したり見殺しにしたりしてるのかも知れんなあ・・・などと考えてしまった。

昔のハリウッドは、こういう映画を作っていたのだなあ。もちろん、今とは世間の状況が変わっているのだけれど。聴衆がもとめるものも。

(2005/7/26)

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群衆(1941年:アメリカ)

500円DVDの1枚。こんな名画がワンコインで見られるなんて、エエ時代になったもんですなあ。ところどころ「今、カットかかったんチャウのん?」とか、画面にノイズがいっぱいあったりとか、コマ落ちみたいなところとかがあるんねんけど、映画を楽しむには充分ですな。

オーナーが変わってクビになることになった新聞社の記者アンが、ヤケクソになって「読者からの投書」っていうことにして、社会批判の記事を書くんですね。ところがその記事がエライ反響を呼んで、知事とか市長とかも「誰が書いたんや!」ということになる。さらに新聞社には「投書したのはこのわたくし」という読者がわんさと集まってくるんですな。なにしろみんな職がないもんで。この機会に仕事をもらおうというわけ。で、いまさら「あれはガセネタで・・」というわけにもいかなくなった新聞社はその中のひとり、元地方リーグのピッチャーという男を投書した「ジョン・ドー」に仕立て上げて講演会を開き、ラジオで全米に中継するんですね。
もちろんその原稿はアンが書くんですけれど、隣人愛を説くその演説がまたまた反響を呼んで、「ジョン・ドー」はたちまち全米の英雄になっていくんですが・・・。

原題にある「ジョン・ドー(John Doe)」っていうのは、日本でいうと山田太郎とか山本一郎とか、そういう「どこにでもある名前」ということらしいです。そんな「普通の人たち」の行動が、ちょっとしたことですばらしいものになったり、あるいは暴動になったりとかするのが面白かったり怖かったりしますね。
だいたいこの主人公(ゲーリー・クーパー)にしてからが、そもそもは仕事欲しさ、金欲しさでウソをついて新聞社にやって来た人ですからね。それが(他人が書いた)原稿を読むことで、だんだんその気になっていくんですから。しかもその気になるだけやなくて、実際「いい人」になっていくのが面白いですね。

演説を聞いて隣人愛に目覚めた人たちが、各地で「ジョン・ドー・クラブ」を作るんですね。で、その全米大会を行う、その会場で、主人公は自分が権力に利用されようとしているのを知って、真実を話そうとするんですが、逆に告発されてみんなから総スカンを食らうんですね。
会場中に集まった何千人っていう群衆が、それまで主人公を崇拝していた人たちが、一転して主人公を罵倒するさまは、怖かったね。これ、1941年っていう時代を考えると、もっと怖いね。ナチスが台頭してた時代やもんね。一人の人間の言動に左右される群衆。
そういうのに警鐘を鳴らしたいってこともあったんかなあ。この監督(フランク・キャプラ)。

まあ群衆(大衆って言ってもいいかも)は、だいたいそんなもんかも知れないなあって思いますな。大勢にしたがって生きているような。ちょっとしたことで良い方向にも悪い方向にもなびいていくような。
どっちにしろ、大衆には力があるんですよね。ラストはそんな大衆に希望を持たせて終わるねんけど。

(2005/9/5)

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落ちた偶像(1948年:イギリス)

500円DVDの最後の一枚。最後っていっても、わが家にある最後、という意味やけどね。

イギリスにある某国大使館(みんなはフランス語を喋ってたな)。大使の子供フィルは執事(やと思う)のベインズになついてる。が、ベインズ夫人は厳しくしつけるので嫌っている。
ある日、フィルは大使館に働くタイピストとベインズがこっそり会っているのに出くわして。そして二人の仲をベインズ夫人に悟られて・・・。

まあ、サスペンスなんですけどね。人がひとり死んでしまうし。犯人は誰や?っていうのより、その死に関わりがあったであろう人たちの、それぞれの証言が二転三転して。
それぞれの思惑とかが微妙にからみあってね。真実はどうやったのか、を刑事たちが何とか探ろうとするんですが。

最後は意外な結末で。ううん。こういう皮肉めいた終わりかたってなあ。イギリスの人たちの感覚なのかなあ。すっきりはせえへんねんけど。「君たち、真実とはそういうものなんだよ。スッキリ解決するのは物語の中だけの話なのだよ」といってるようにもとれるけどね。

イギリスのサスペンスというと、すぐにヒッチコックが思い出されてね。比べたらアカンと思うねんけど。比べてしまうと、どうもいまひとつインパクトに欠ける。
小道具のひとつひとつ、設定のひとつひとつが意味深なようでそうでもなかったりして。例えば、玄関ホールの大階段。ヒッチコックやったら、もっと「怖い」階段にしそうやなあ、と思ったり。例えばフィルのペットのヘビ。ヒッチコックやったら、もっと楽しい題材にしそうやなあと思ったり。

最後は間違った証拠から真実が明らかになるっていう、皮肉な皮肉な結果になるんですけどね。これもヒッチコックやったらもっとハラハラさせて・・・って、やっぱりなんでもヒッチコックと比べたらアカンわな。

(2005/9/16)

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タクシードライバー(1976年:アメリカ)

サンテレビの深夜映画で放映してましてね。時々こういうええ映画をやってくれるね。しかも日本語字幕で。英語が堪能なぶたこは、元のセリフと字幕とを見比べて「へえぇ〜」とか言うてましたが。

たしかに字幕やと、役者のホンマの息づかいというか、ちょっとした言い回しが(英語が分からへんにしても)伝わってきて、いいですね。最近字幕版が増えてきてて、うれしいね。

で、本作のはなし。公開当時から話題たっぷりでね。忘れてたけど、カンヌ映画祭でグランプリを取ってんな。それだけのものはあると思ったね。カットがかかったテレビ放映を見ただけでも。あ、いまウェブで調べたら、元々上映時間が短いんですね。2時間もない。だからカットもちょっとだけやったんかな。だったら嬉しいけど。

なんちゅうても主役のタクシードライバーを演じるロバート・デ・ニーロがすばらしい。純粋なようでアブナイ。いや純粋やからアブナイということかな。
ともかく「社会の悪を浄化したい」っていう思いが大きくなっていって。もともとその思いはあっても、だんだん強くなっていくところが怖いね。

最初狙ったのは大統領候補。政治のことはよく分からないけれど、とにかくこの町(ニューヨーク)をきれいにしてくれそうやと思ってたのに、実際に会ってみると(タクシーに乗せてみると)自分ほどの思いを持っていそうにないってことで(やと思うけど)幻滅し、暗殺まで考える。なんちゅう短絡さ。
で、暗殺に失敗したら、次に狙ったのが少女売春のブローカー。なんたるその落差。で、こちらの方はアッサリ成功してしまい、テロリストになるはずだった主人公は、少女を解放した英雄となる。この皮肉。

公開された当時は、デ・ニーロ以上にジョディ・フォスターの演技に(というか役柄に)話題が集中してたような気もするなあ。でも、やっぱり主役はデ・ニーロやで。

それと、(当時の)ニューヨーク。狂気があふれた町っていう感じやね。もちろん、それはニューヨークの一面でしかないのやろうけど。
そして不思議なことに、最後は血みどろで終わる映画やのに、殺伐とした気分にならないんですね。これは不思議。どっかに監督とか俳優とかの、ニューヨークに対する愛情みたいなものが感じられるねんなあ。
同じニューヨーク映画でいうと、ウッディ・アレンの描くニューヨークとは正反対の印象ですね。そういうのを映し出したこの監督はエライと思うなあ。

あ、でも、ウッディ・アレンとデ・ニーロって、どちらも「純粋な狂気」ということでは共通するかも。その方向は正反対やけど。

(2005/10/4)

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オール・ザ・キングスメン(1949年:アメリカ)

「Yahoo!動画」というのがあって。YahooBB会員やったら、ウェブに公開されている映画が見放題(もちろんPC上で)なのである。いいページを見つけてくれた。
「世界名作映画ライブラリー」には、昔の名画がいっぱいある。
「なかなか見られへんのが見たい」というのは、ぶたこと意見が一致。わしも知らんかった「オール・ザ・キングスメン」を観た。

アメリカの片田舎の役人に立候補したスタークは、真面目で正直な男。しかし何度か選挙を戦ううち「勝ち方」を学んでいき、やがて州知事にまで上り詰める。もともとの誠実さはどこへやら。はじめは敵視していた州の(裏の)実力者とも手を結び、次々と自己の「政策」を実現していく。その過程を、記者としてスタークを取材し、やがては右腕となって裏工作を実行していく男の視点から描いている。

49年度のアカデミー作品賞、主演男優賞、助演女優賞を受賞。しかし日本初公開は76年だと。

ずっとみてると、主人公が田中角栄にダブって見えてきてしまったよ。道路の整備、施設・病院の建設、事業の活性化。その裏で行われる不正、汚職。お金と権力にものを言わせる政治手法。ついにはマスコミも牛耳っていく。

そもそもの政治参加の動機になっているのは「貧乏人を救いたい」という意志。しかしそれが思わぬ方向に行ってしまうのだな。家族も崩壊してしまうし。ついには人の命まで。怖いね。

なんでも金と権力で片付けてしまおうという姿勢は、どこか「市民ケーン」にも似てるけど。しかしケーンはずっと孤独と戦ってきたけれど、スタークは孤独とは無縁やったはずやのにね。愛する妻がいて、息子がいて。理想に燃えて勉強もし。ケーンは愛に飢えてたけど、スタークは何に飢えていたのか。ただ権力が欲しかっただけなのかも。
そしてついに権力を手に入れた。「やりたいことができる」と思ったはずやな。「やりたいことをやるために」汚い手を使うことも覚えてしまうのだな。

汚職がはびこって、金権政治がまかり通ってしまう。しかし民衆にとっては「貧乏な生活から救われた」ことで、彼は英雄なわけですな。
確かにそうかもしれない。生活が豊かになったのは間違いない。裏のない政治を続けていったら、そういうのは実現できたのか。もし出来たとしてもどれくらいの時間がかかったか。ということを考えると、なにもかも否定はできないなあ。否定したいんやけど。
などと、やっぱり田中角栄とダブって考えてしまうのである。

(2005/11/28)

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街角 桃色の店(1940年・アメリカ)

映画も日記風に

どうもダラダラと書く方が自分に合ってるみたい。と思いだしたのは本のページを更新してからやけど。作品論とか方法論とか、そういうのは苦手。というか、書いてるうちにイヤになってくるねんな。自分の論法がどうもエエカッコしてるようでね。

さて、去年の年末はいつもに増していっぱい映画を観た。といってもテレビとかネットとかDVDとかやけど。大きな画面で暗い中で、2時間かそこらを過ごすというのもいいけれど、家でテレビの前に座って、お菓子かなにかをポリポリとかじりながら、紅茶を時々すすりながら(インスタントやけど)、そしてぶたこと「今の、どういう意味や?」とか「あれ?これ、どうなってるの?」とか「うまいっ!」とか言い合いながら観るのも楽しいもんです。もちろん一緒に観る相手は、よっぽど気の合う人でないと、自分が「イケてないなぁ!」というシーンで「うまいっ!」とか言われると、興が削がれてしまいますけどね。

「Yahoo動画」の「世界名画」は、残念ながら12月31日までの公開で。それまでにせっせと観ておこうと思ったんですけどね。1日に観られる映画って決まってますな。3本も4本もというワケにはいきません。2本がせいぜい。それも去年はしんどくなって。なにしろ名画と呼ばれるものは内容が濃いですし。その濃いものを2本続けて、と考えただけでもしんどいです。というわけで、結局はあんまり観られへんかったな。

「Yahoo動画」で観た映画を挙げると。
「街角 桃色の店」(1940年・アメリカ)
「我らの生涯の最良の年」(1946年・アメリカ)
あれ?これだけやったか。もっと観たような気になってたけど。まあ、あとで思いだすかも。


「街角 桃色の店」は1940年のアメリカ映画。主演はジェームズ・スチュアート。監督はエルンスト・ルビッチ。

ルビッチ監督の映画は初めて観るかも。名前だけは知ってた。といっても「ワイルダーならどうする」という、ビリー・ワイルダーのインタビュー本の中で、ワイルダー監督の部屋の壁に「ルビッチならどうする」という一文が飾ってあった、というのを読んだから。つまりそれまでルビッチという監督の名前すら知らなかったのですな。いい加減な映画ファンでして。

いやいや。知らなくて当然かも。なにしろワイルダーの先輩に当たるような人やねんから。言うてみたら今の若い人が片岡千恵蔵や大友柳太郎や月形龍之介といってもピンと来ないのと同じ。そういう往年のスター、監督の名前を知ってたからってどうなるの。実際に観てみないことには、その偉大さなどを実感することはできないであるよ。

と、自分に納得させて。さて映画の内容ですが。舞台はハンガリーのブダペスト。雑貨店で働くジェームズ・スチュアートとやや気の強い女性店員との恋の顛末。ふたりは店の中では常にけんか、言い合い。しかしお互いが匿名で文通している相手で、双方がひかれ合ってるという、まあよくできたお話。これをメグ・ライアンとトム・ハンクス主演でリメイクしたのが「ユー・ガット・メール」やと。まあ、すれ違いつつひかれ合うというシチュエーションは、今も昔も同じということですかね。

このふたりの恋愛を軸に、同じ店で働く人たちの人間模様が、クリスマスに向かってそれらしく盛り上がっていきましてね。つまりはクリスマスにぴったりのほのぼの映画といったところ。

ただし、それぞれのセリフの軽妙さや話のテンポなんかは、とっても粋で洗練されててね。こういうのを「ルビッチ・タッチ」っていうのかなあ。他の映画を知らんからなんとも言われへんけど。笑いつつ楽しみつつ、ほのぼのさせて。途中でハラハラもあってね。いい気分にさせてくれる映画ですわ。

(2006/1/5)

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我らの生涯の最良の年(1946年・アメリカ)

「我らの生涯の最良の年」は1946年のアメリカ映画。戦争が終わって故郷に帰ってきた3人の復員兵とその家族のお話。

心に傷を負ってたり、体に傷を負ってたりする復員兵たち。それぞれが悩みつつ、現実社会にどう溶け込んでいくかを、丁寧に描いてます。ひとりは結婚したてで戦場に行き、帰ってみたら奥さんは贅沢が身についてて、でも自分は職探しに苦労して。ひとりは元働いていた銀行に重用されるけれど、軍隊での価値観を引きずっている。もうひとりは両腕を失って、普通の生活が出来るのかどうか、婚約者と結婚できるのかどうか、コンプレックスに悩んでいる。さて、この3人のこれからは。

軍隊では上級にいた人が、帰ってみると仕事がない。逆に階級の低かった人が帰ってみたら重役におさまって。そのほかそのほか。軍隊での習慣と実生活とのギャップ。あるいは戦場でのトラウマ。そのほかそのほか。いろんなものがめぐっていって。とても「最良の年」とは見えへんねんけど。この題名には、かすかな願望みたいなものを感じますな。

それにしても。終戦直後にこんな映画を作ったアメリカのすごさのようなものを感じます。今観ると、どうも「アメリカ万歳」に傾いてるところが気になりますけどね。戦争を起こしたのは間違いじゃなかったっていう観点に立ってるし。勝ったアメリカはエライってことになってるし。反戦とか非戦とかの思想は、ちょっとアブナイっていう風にとらえられてるような気がするし。
そういうところを差し引いても、映像の丁寧さとか、話の盛り上げでみせてくれますね。ともかく、こういう映画を作った(それも戦後すぐ)アメリカは、やっぱりすごい。こんな国と戦ってはいけませんな。

翻って、日本の映画を考えてみると。どうもこれに類するような映画って、思い浮かべへんなあ。まあ「日本の一番長い日」がそれに近いか。しかし、どうも生活に密着してないような感じがするなあ。


「Yahoo動画」の名画劇場は、年末でホンマに終わってしまいましてね。残念やなあ。もっと観たかったのに。今はさらに高画質の映画をやってますが。昔の名画をもっと観たいであるよ。

(2006/1/5)

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ブリジット・ジョーンズの日記(2001年・アメリカ/イギリス)

テレビで観る映画

テレビで映画を観るとなると、途中でコマーシャルが入るし。その間にトイレに行くとか。そういう時間も決まってくることもあるな。でも気楽は気楽やね。できれば字幕放送、ノーカット版がエエねんけど。最近は増えてきたけどね。深夜映画で。しかし深夜に映画を観るのは疲れるときもあるねんな。眠たいときもあるし。眠たくない映画を観たら、次の日がしんどかったりして。

録画してみればエエねんけど。録画したものを見直すのがまためんどくさかったりして。結局見直さないまま消去。そして新しい映画を録画する。

毎年、年末年始には深夜映画がいっぱいでね。たぶん放送する方は楽なんやろな。編集とかの手間はないし。とにかく流してたらええだけやし。それでもなぜか今年はノーカット、字幕版っていうのが少なかったような気がするな。あっても昔観たヤツとかね。そういえばホンマに最近の映画(ここ10年くらい)を繰り返し放送してるような気がするなあ。テレビの映画って。そういうのでしか視聴率がとられへんのやろか。こういうときにこそ、昔の名画をやってほしいねんけどなあ。

昔はね。映画館でも古い映画をやってましたね。リバイバル上映とかはあたりまえやったな。「風と共に去りぬ」なんか、何回映画館にかかったやろう。最近は昔の映画を映画館で観るってことはほとんどないですな。映画館は新作ばっかり。そうそう。昔、チャップリンの映画も映画館で見たよ。もちろんサイレントですがな。結構満員やったような気がするなあ。そういえば「ベン・ハー」も「十戒」も「偉大な生涯の物語」も、僕が見たのは全部リバイバル上映やな。

今やそういう映画は家で、大画面のテレビで見る時代ですか。音響もよくなったしな。画質もよくなってる。昔は、古いプリントの映画やと、途中で画面が消えたりとかいうこともあったし。もっとひどいときには、画面にほとんど「雨」が降ってる状態やったりね。それでも我慢して観てて。それで結構喜んでというか、感動してたんですよね。ちょうどSP盤を聞いて感動する音楽ファンみたいなものでね。

で、最近テレビで観た映画の話をしようと思って書き始めて、意外な方向に行ってしまったから、この話はこれで打ち切り。テレビで観たのは「ブリジット・ジョーンズの日記」やってんけど。ヒットした割にはあんまり面白くなかったな。あ、これだけで終わってしまいそうやけど。

(2006/1/5)

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陽のあたる場所(1951年・アメリカ)

思い出した。Yahoo動画で観た映画がもう1本あった。「陽のあたる場所」(1951年・アメリカ)を観たんやったな。51年度のアカデミー賞で監督賞ほか6部門を受賞したんですと。「黒白撮影賞」なんていう賞もあったんやね。白黒とカラーが共存してた時代やね。面白いな。

で、映画の方やけど。今見ると、さてそんなに面白い映画かどうか。内容としては、貧しい生まれの青年が、社交界の花形娘に憧れ、ついに結婚の約束までする。が、青年には同じ工場で働く恋人が居たのだった。しかもその娘が妊娠していると分かり・・・。というサスペンス。

ドラマとしての面白みは、その犯行にいたる心理状態よりも、犯行を犯した(それもちょっと微妙というところがある)そのあとの裁判とか、主人公の心の変化とか、それが細かく描かれてますね。それがちょっと今の2時間ドラマと違うところやし、監督賞を受賞したのもそのあたりかな。

しかし、その展開が逆に作品の一貫性というか、サスペンス性というか、そういうのをそいでしまったようにも見えるなあ。結局は今までの所業を反省して、極刑に処せられるってことで終わってるしなあ。

それとね。モンゴメリー・クリフトもエリザベス・テーラーも美男美女すぎて、悲惨性とかどうしようもない生き方をしそうに見えへんねんなあ。シェリー・ウィンタースが、逆にとっても存在感があって。彼女なしではしょおもない映画になったんちやうかなと思ったな。

(2006/1/14)

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