表紙に戻る

映画の部屋


【インソムニア】(2002年:アメリカ)
【あずみ】(2003年:日本)
【山の郵便配達】(1999年:中国)
【七年目の浮気】(1955年:アメリカ)
【A.I.】(2001年:アメリカ)
【スライディング・ドア】(1997年:アメリカ=イギリス)
【壬生義士伝】(2003年:日本)
【ロード・オブ・ザ・リング−二つの塔−】(2002年:アメリカ)
【戦場のピアニスト】(2002年:ポーランド・フランス)
【リッチー・リッチ】(1994年:アメリカ)

リッチー・リッチ(1994年:アメリカ)

最近増えてきたように思うんです。英語字幕放送。吹き替えより、だいぶ面白いですね。英語の勉強にもなるし。勉強してないけど。
さて、マコーレ・カルキン主演のコメディ。大富豪の御曹司が、会社乗っ取りを企む悪徳役員とその取り巻きをやっつける、という単純なストーリー。ぶたこ流に言うと「国際線の機内で見るような映画やね(^oo^)」。ま、単純に面白いですけど。

こういう映画は、細かいところにどれだけ凝れるか、が勝負のような気がします。ストーリーが単純で、結末が見えてるだけにね。
それからいうと、よくできてる。お抱えの、ちょっと危なげな科学者。ちょっと間の抜けたこわもてのシークレットサービス。それになんといっても執事!この映画の中で一番光ってる役柄でした。かっこよかったなあ。

会社乗っ取りに一度は成功した悪徳役員が、社長室で見ていたテレビが、ヒッチコックの「北北西に針路を取れ」。なんでこんな映画?と思ってたら、ラストの追っかけあいは、その映画のまったくのパロディでしたね。そういう伏線かあ。

一つ一つのセリフも考えられていて、こういうの、ハリウッドはうまいなあ。日本映画のコメディはこれに比べるとちょっとねえ。

大富豪の御曹司ゆえの孤独も(下町のこどもと、なかなか一緒に遊べない)、ちょっとは描かれていて、「かわいそうにナアー」と思うところもありました。が、カルキン君が主演ではねえ。「ホームアローン」で人気が爆発したけれど、この映画を見るかぎり、そう演技がうまいわけでもなく、美男子でもなく、といって崩れきってもいない。うーん、なんなんでしょ。つまりはコメディに向いていないってことなのかなあ。

いまやハリウッドの問題児。彼の私生活をふと考えると、悲しい映画に思えてきたりします。そんな見方、するなって。

(2004/11/12)

このページの最初へ


戦場のピアニスト(2002年:ポーランド・フランス)

テレビで見ました。
第2次世界大戦下のワルシャワを生き抜いた、ユダヤ人ピアニストの話。

あざとい演出もほとんどなく(ただ1シーン、ドイツ人将校の前でピアノを弾くシーンは、ちょっと演出しすぎかなあ・・・)、「戦場のピアニスト」といいつつ、ピアノを弾くシーンもほとんどなく。だいたい「ピアニストとしてどう生きたか」なんてことはまったく問題になっていなくて、ひとりの人間の、戦場での生き残り劇として、実に迫力ある画面で迫って来ていましたね。

いつのころからか、映画に「リアルさ」っていうのが求められるようになって、映画を作る方もその「リアルさ」にこだわる人が増えたような気がするけれど、「リアルさ」って何かなあ、って思ってしまう。
「映像のリアルさ」っていうことなら、今の時代はCGでほとんどのことが映像かできるから、どこまでもリアルな映像って出来るような気がします。
でも、そうやって作られたリアルさってなんなんやろう。
以前に見たスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」の戦闘シーンはほんまにリアルやった。でも、見た後の印象は? 結局「リアルな映像やったなあ」では、後々まで心に残る映画にはならんのですな。

「戦場のピアニスト」のリアルさは、そういう映像のリアルさもさることながら(本編が始まる前に、子供に見せる時に配慮してほしいというメッセージを流したのは正解やったと思う)、なによりもエライと思ったのは俳優の演技でした。やっぱり映画は役者で、演技で面白さが決まるのかも。
主演のエイドリアン・ブロディの演技はまさに鬼気迫るもの。妙なカメラアングルとか撮影技術とかを使わないポランスキー監督の演出もすばらしい。そらもう、主演男優賞もあげましょう、監督賞もあげましょう!

(2004/12/13)

このページの最初へ


ロード・オブ・ザ・リング−二つの塔−(2002年:アメリカ)

これは、劇場で観たな。たしか香港で(^◎^;)。
もちろん、広東語字幕なんか分かるわけもなく、必死で英語を理解しようとしたけれど、よー分からんかった。「スター・ウォーズ」はだいたい分かったから、自信はあってんけどなあ。
で、結局は迫力のある戦闘シーンとかが印象に残っただけで、実をいうと第1部の「旅の仲間」も観てなかったから、登場人物の関係も今ひとつよー分からんかったっていう、自分の責任もあったんですけどね。
だから、アカデミー賞を(第3部の後やけど)とったときは、「なんであんな映画が」と思ってんけどね。

テレビでやってくれて、もちろん吹き替えで観まして。
いやあ、これは吹き替えでないと、わけ分からんわ。話がややこしすぎる。「旅の仲間」も観終わってたから、余計によかったのかも。

やや英雄主義的なところが気になるところやけど、まあ面白かったな。
ただ、戦闘シーンが多すぎかな。それに残酷すぎるような。その残酷さも、笑ってしまうような残酷さなのが気になるな。
それに、観終わった後に、あんまり何も残らへんねんな。これはなんでかいな。
話が単純すぎるのかしらん。って、「ややこしすぎる」って書いたとこやんけ(^◎^;)。
「単純」っていうのは、正義が勝って悪は撃退されるってところで、これは「スター・ウォーズ」にも共通する。「ややこしすぎる」のは登場人物が多すぎて、誰が味方で誰が敵でっていうのが、ぼーっとみてるとわからへんようになってしまう。
ま、とにかく最後には、命をかけて戦った正義の側が勝つってことなんやけど。

ぶたこが言ってたけど、「まるでゲームのような展開の映画」っていうのがぴったりですね。
昔は、ゲームが映画の真似をして、ゲームで映画を追体験する、映画の世界に入り込むってことやったと思うのになあ。いつのまにか立場は逆転して、ゲームのように映画を楽しんでいる。まあ、それが悪いわけではないんですけどね。
これがあんまり進みすぎると、「展開が面白ければそれでいい」ってことにもなりかねへんからなあ。そういう映画ばっかりやと、飽きてしまうよなあ。


この前日、「千と千尋の神隠し」もテレビでやってましたな。最初の方だけ観ようかな、っと思ったんやけど、15分経っても本編が始まらへん(ハウルの動く城の宣伝をずっとしていた)ので、あきれて(というより腹が立って)観る気が無くなってしまいました。
このテレビ局(日本テレビ)のセンスの悪さが前面に出てたような気がするな。ほんま、映画ファンの気持ちが分かってないねんなあ。

(2004/12/14)

このページの最初へ


壬生義士伝(2003年:日本)

最近、映画館で映画を観てませんなあ。なんたって、映画は高いからね。2時間ちょっとで2000円かあ。それで面白くなかったら「金返せぇ!」って言ってもはじまらんわけやし。

映画館で観ようとする映画は、どうしても外国ものになってしまいます。はっきりした理由はないねんけど、なんとなく外国映画の方が面白いような気がするんですね。
前評判が高かった邦画を観にいったら、めっちゃ面白くなくって、しかもそれがその年の日本アカデミー賞をとったりしたひにゃあ・・・。自分の感覚が邦画を面白いと思えなくなってるか、邦画の面白さの感覚が自分と合わなくなってるか・・・。何をいってるんだか。
ともかく、自分と邦画は合わないらしいっていう気がしてます。

今日、テレビで「壬生義士伝」をやってまして。なかなか見応えが有りました。
普通のチャンバラ映画ではなくって、深みのあるいい映画やと思いました。戦闘シーンとかもあってんけど、みどころはそこじゃなくって、人間ドラマになってるところがよかった。

なんちゅうても主演の中井貴一がすばらしい。ぼーっとしてる田舎侍の顔と、厳しい剣士の顔を瞬時に演じ分けられるのは大したものです。この主人公に共感して、ずっと観てしまいましたね。

ただおしいのは、ラストの30分。なんか説明くさくなってしまってましたな。なんで死ななければならなかったのか、それぞれの理由を説明しなくても。人間の行動にすべて「理由」があって、それをわからなかったら気持ち悪いっていう人が多いねんやろなあ。
でもね。
説明できないことが多いから、人間は面白いんですよね。この映画の前半は、主人公の行動が矛盾をはらんでいて、その矛盾が社会の矛盾そのままやってことがだんだんわかってきて、主人公に共感していくねんけど、それを涙とともに説明されてもなあ。

あとね、佐藤浩市が共演しててんけど、どうも「ビールをついでる人」のイメージがあってねえ。なんか観てて恥ずかしいというか、知ってる人が演技してるっていう感じが拭えないんですねえ。不思議と中井貴一は「カードを持ってる人」っていう感じがしなかったんですけど。それだけ演技力があるってことかいな。
そうや、邦画を今ひとつ気持ちを入れてみられへんのは、こういう「知ってる人が演じてる」っていう感じがあるからかも知れへんなあ。

(2004/12/31)

このページの最初へ


スライディング・ドア(1997年:アメリカ=イギリス)

地下鉄のドアが閉まるのに、間に合ったか、間に合わなかったかで運命が変わってしまう。その両方を平行して描くっていう、変わった進行のラブ・ストーリーです。
で、まあ、変わってるのはその進行の仕方ぐらいかな。それぞれ平行して描かれるラブストーリーは、どちらもありがちなもので。ハッピー・エンドとアンハッピー・エンドの両方が用意されていまして。
ずっと見てる方は、やっぱりハッピー・エンドを願ってしまうわけですね。そういう結末を願わせるところがうまいところかな。

ところで、これはイギリス映画でして。画面全体になんとなくイギリスふうなにおいがするのは、先入観やろか。どっかハリウッド映画とは違うところがあるんですよね。わたくしは好きなんですけど。

グウィネス・パルトローはかっこいいけどかわいいっていう役柄にはぴったりですな。「恋に落ちたシェイクスピア」でオスカーをとって以来、大当たりしていないような気がするのが、ちと心配なのですが。

(2004/12/31)

このページの最初へ


A.I.(2001年:アメリカ)

うーん。どうしちゃったんでしょうねえ、スピルバーグ。なんかやたらとお金をかけて、しょーもない映画をどんどん撮ってるって感じですなあ。
「人造人間の悲哀」ってことでは「シザー・ハンズ」に遠くおよばへんしなあ。
だいたい、なんで最後にエイリアンが出てくるんや。やりすぎ。あの前の、妖精の像の前でこと切れるってところで止めときゃあ、ちょっとは心に残る映画にもなったのに。

なんかねえ、最近のスピルバーグの色みたいやなあ。「マイノリティ・レポート」も、「ああ、これでおしまいか」と思ってから、さらにひと盛り上がりがあって、食傷気味になってしまったし、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」も、最後にトム・ハンクスとディカプリオが仲良くなるところまで映画にせんでも、ストーリーとしては十分やったのに。「蛇足」っていうことばがしっくりくることばっかりやってるような気がする。

これ、元々キューブリックが映画化したかったんですよね。そういう先入観があるからかもしれへんけど、どうもキューブリック・タッチのようなものを感じてしまいました。で、ちょっとしただらだら感が始めっからあるんですなあ。

ほんでねえ、どうしてあんなにお金をかけたシーンを撮りたがるんでしょうかねえ。未来のラスベガス(?)のシーンとか、ロボット破壊ショーのセットとか。あんなん、映画の本筋というか、テーマとはあんまり関係あらへんのに。そういうシーンの多さが、映画の質を薄めてるよなあ。

もう少し話をしぼり込んで、テーマをはっきりさせて、何を見せたいかをはっきりさせて、映画を作ってほしいなあ。それだけの力はあると思うねんけど。スピルバーグ。
最後の最後まで、お話が完全に完結する話ばっかり作らんとなあ。「このあと、どうなんねんやろう」と思いつつ終わる映画もええもんやで。それとも、続編を作られるのがいやなのか。うーん、わからん。

(2005/1/13)

このページの最初へ


七年目の浮気(1955年:アメリカ)

マリリン・モンローの、スカートがめくれ上がるシーンだけが有名やけれど、この映画、ほんまにようできたコメディやと思います。
なにしろ、次から次に繰り出されるセリフが面白くって。
モンローはかわいいし。そらもうクラっときますわなあ。トム・イーウェルが揺れ動く男心を分かりやすく(^◎^;)演じていて、もうめっちゃ面白かったです。

いろんなシーンが、無駄なくつながっていて、さすがワイルダー。ほんまにすばらしい。
オープニングの、インディアンの男が夏場に浮気をするという設定が、そのまま現代のマンハッタンにつながっていく面白さ。
それから、トムがモンローを誘うシーン。2階から植木鉢が落ちてくる一瞬のサスペンス。怒り心頭のトム・イーウェルが階上にどなり上げると、顔を見せたのはマリリン・モンロー。とたんに口調が柔らかくなって、「一杯どうです」なんて言ってしまう。なんちゅう分かりやすさ。
「下着を冷蔵庫で冷やしてるの」っていう、モンローのセリフの(いやらしくない)色っぽさ。ほんまに映画は脚本やなあって思ってしまう。

テレビで見たので、きっと途中にカットもあったと思うなあ。できればノーカットで見たいところやけど。それも吹替えじゃなくてね。
それと、この番組(ドリーム・シアター)の案内役は水野晴郎さんなんだけど、いい加減「シベリア超特急」のトレーナーはやめてくれ、と思う(まだましになったのかも。ちょっと前まではバックの壁一面が「シベリア超特急」のポスターやった)。

(2005/1/30)

このページの最初へ


山の郵便配達(1999年:中国)

公開当時、新聞の批評などで評判になってたのは知ってたんですが。こういう地味な映画は見る機会がホントになくって(すぐに映画館でやらなくなってしまうので)。深夜でも、こうやってテレビで観られるのはほんとに嬉しいです。

1980年代の中国。山あいで郵便配達をする父親は引退することになり、跡を継ぐことになる息子と一緒に最後の配達に向かうんですね。3日かけて。はじめは息子だけで行くはずやってんけど、一緒に連れて行く番犬?が、父親と一緒に居ようとするので、仕方なく一緒について行くんですな。

父親はずっと配達の仕事をしていて、それが村々を歩いて回って行くので何日もかかるんですね。だから息子は、父親とはあまり一緒にいられなくて。「父に嫌われているのでは?」と疑っていたりもするんですね。
それが一緒に旅(といっていいと思うけど)を続けていくうちに、お互いの気持ちが近づいていくのが感動的(月並みな言い方やけど)でした。
父親は息子の姿をみて昔の自分を思い出し、息子は実際の配達の仕事をとおして父親の気持ちを理解していくんですね。

中国映画にはとんと疎いんですけど、父親役の俳優がほんとにいい味を出してました。仕事に誇りをもっているけれど、「こんな辛い仕事は自分の代だけでいい」と言ってみたり、そのくせ「息子になら安心して跡を任せられる」と言ってみたり。
その両方が本心であるところがいいです。激しい演技はほとんどないんだけれど、染み出してくるような人生観が心に染みます。

山の郵便配達やから、ほとんどのシーンが山の中なんですね。それがまた美しくって。なつかしくって。ほんとにいい映画でした。

(2005/2/19)

このページの最初へ


あずみ(2003年:日本)

もう1週間になるのか。テレビで観てから。ずっと書こうと思っててんけど。
上戸彩が、アクションをやったらどうなんかなあっていうのは、映画公開の時から思っててんけど。現代の映像技術(CGとワイヤーアクション)の進歩は目覚ましく、どれもばっちり決まってましたね。
いや、映像技術だけじゃなく、上戸彩はほんまに頑張ってたと思うなあ。演技にキレがあったな。キメの表情とかも、文字どおりキマッテるって感じで。殺陣とかも、映像処理だけじゃないと思うなあ。ほんま、立派なもんや。
ただなあ。映画全体はなあ。

策士、策におぼれる、とまではいかへんけど。北村龍平監督って、キメの映像をたくさん知ってるって感じはしたなあ。とにかくいちいちの画面がほんまに「キマッテる」んですよね。それは戦闘シーンだけじゃなくて、岡本綾がススキ原の中に立ってるシーンとか。ひとつひとつが絵になってる。そういうシーンを撮る才能に溢れてるんやな。
そういう「絵」だけじゃなくて、動きのあるシーンも、どう映せばカッコイイかとか、どう撮れば迫力が生まれるかとか、全部よく分かってるような気がする。

でもなあ。映画ってそういう「かっこよさ」だけでは心に残るもんにはならへんねんなあ。
主人公のあずみ以下、少年刺客たちがどうも「軽く」見えてしまってなあ。最初に親友どおしで切りあいをさせて、生き残った方が刺客としていきていくことができる。って、すごい重たい運命を最初から背負うわけやけど、それにしてはその命令をくだした「じい」(原田芳男)にたいする心境(ずっと頼りにし続ける。無条件に)とかに疑問を抱かざるを得ないし。
だいたい旅巡業の芝居を観て、ニコニコして喜んでるところからして、軽さ爆発ってとこやな。あそこは、初めて観る「他人の人生」に驚き、理解できひんようになるはずのシーンやろうに。なんか普通に楽しんでたよ。そんな風やから、岡本綾(旅芝居の娘)との別れのシーンも、通り一遍の印象しかのこらへんのかなあ。

少年刺客たちは、そらもうめちゃくちゃ強くて、ほとんどの相手をばったばったと薙ぎ倒していくんですな。で、あまりにもそういうシーンが多いと、肝心の最後の殺陣のシーンが、その延長上に見えてしまって、「もうええでぇ」という気になってしまったな。
黒沢明の「用心棒」では、三船敏郎が刀を抜くのは3回きり。しかもそれぞれあっという間にカタがついてしまう。だのに、三船敏郎の殺陣はすごいなあって、ずっと頭の中に残ってる。そういう運びのうまさみたいなのが、ないのが残念かなあ。

そういうストーリーの面白さとか、演出の深みとかよりも、映像の面白さだけを追及したんかなあ、って、思ってしまう。だとしたら、もったいない。とっても、もったいない。

(2005/3/12)

このページの最初へ


インソムニア(2002年:アメリカ)

「インソムニア」とは、不眠症のことらしいです。舞台はアラスカ。殺人事件が起こりまして、ロス市警から敏腕刑事が応援にくるんですが、白夜続きで不眠症になってしまうんですな。
で、不眠症がテーマなんじゃなくって、その刑事が事件を解決していくっていう推理ドラマなんやけど。刑事役にアル・パチーノ。地元の若手刑事にヒラリー・スワンク。殺人犯にロビン・ウィリアムス。

話の筋はまあ、おいといて。
なんというか、「バランスの悪い」映画ですな。
アラスカの自然は、すみきった寒さのようなものがありまして。白夜やから夏なんやけど、みんなダウンジャケットなんか着込んでて。やまは霧だらけやし。雪は積もってるし。道は凍ってるし。
っていう不思議な雰囲気と、ストーリーが、というより、アル・パチーノがかみ合ってない。殺人事件のエキスパート。しかし不眠症に悩むことになり、さらには同僚を誤射してしまう。そのうえ、それを殺人犯の仕業と偽って・・・。って、なんか話がいろいろ転がりすぎ。この役は、どう考えても難しすぎ。無理があるともいえるかな。

無理があるといえば、殺人犯のキャラ。一体彼は「殺人鬼」だったのか?それとも、気の弱い人間の、追い詰められた犯行やったんか。ようわからずじまい。

で、そういうストーリーと背景がどうも一体になってない。風景だけは神秘的で、いかにも何かが隠れてそうな(人々の生活の中にも)雰囲気やのに。おしいなあ。いい俳優がいっぱい出てるのに。

ERでアビー役のモーラ・ティアニーが出てたな。宿屋の女主人役で。この人、いい味があるんやけどなぁ。ただ、同じ色に見えるところが気になるけど。
あと、ERつながりで、アンスフォー部長役の人も出てた。そういえば、プロデューサーはジョージ・クルーニーやったな。

(2005/3/15)

このページの最初へ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送