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映画の部屋


【TRICKトリック−劇場版−】(2002年:日本)
【ラブ・オブ・ザ・ゲーム】(1999年:アメリカ)
【HERO−英雄−】(2002年:中国)
【ハリー・ポッターと賢者の石】(2001年:アメリカ)
【アニー・ホール】(1977年:アメリカ)
【バージニア・ウルフなんかこわくない】(1966年:アメリカ)
【ボウリング・フォー・コロンバイン】(2002年:アメリカ)
【ザ・シークレット・サービス】(1993年:アメリカ)
【グッバイ・ガール】(1977年:アメリカ)
【エアポート'99】(1998年:アメリカ・カナダ)

エアポート'99(1998年:アメリカ・カナダ)

「エアポート」シリーズっていうのがあるねんなあ。「大空港」「エアポート'75」(チャールトン・ヘストンが主演したやつ)とかは覚えがあるけど、それ以降も作られてるって言う話は聞いたことがあるけど、実際に観たことはなかった。

テレビ大阪で放映されました。9月7日夜。何の気なしに観てたんやけど、こういうパニックものって、ついつい最後まで観てしまいますな。多分ハッピーエンドになるやろう、とは分かってても(^◎^;)。

社長の娘を乗せた旅客機が、落雷にあって機体に穴が開く。パイロット以下、大人はみんな失神して、さあ、この娘が一人でどうやってこの危機を乗り越えるのか。
お決まりの一難去ってまた一難。飛行中の機体に穴が開く、というのは「エアポート」シリーズの定番なのか。一番最初の「大空港」を見たときは「こんなんでほんまに飛び続けられるんかいな?」と思ったもんや。
テレビでの放映となると、うまく助かりそうになっても、「まだ45分もあるでぇ」ってことで、この先また一波乱あることが予想されてしまう。テレビっていうのは罪やナア。

とはいえ、結局最後まで観てしまったわけで(^◎^;)。ドラマ「24」にも娘役で出演している、エリシア・クースバート(わしはずっと、カスバートと読むと思ってた)がイイ感じ。親に反抗的で、でも実は愛情と思いやりがいっぱいあって、しかもヤルときゃヤル(^◎^;)っていう、映画にはありがちなキャラクターやけど、熱演してますな。この演技があって「24」にも抜擢されたのかも、と思うぐらい。もちろん、こちらの方がずっと(でもないか)前の出演なので、若い(^◎^)。溌剌としてますな。
これからもっと売れ出しそうな気がするから、なんかお宝映像を観たような、得な気分になってしまいました。

パニック映画としては、そこそこかな。だいたい、最近は「パニック映画」そのものが下火になってるというか、あんまり面白くなくなってきてる。だいたいの筋書きは決まってしまってるからね。意外な展開にはなりにくい。

ひとり、コックピットで孤軍奮闘するエリシアと、管制塔のにいちゃんとの無線のやり取りが面白かったな。

「『エアポート'75』を見たかい? 同じようにするんだ。僕はチャールトン・ヘストンだよ」
「・・・ブラッド・ピットの方がいいわ・・・」
「(-_-;)」

そら、生まれてへんからね。

(2004/9/9)

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グッバイ・ガール(1977年:アメリカ)

子持ちの中年独身女性のラブ・ストーリーっていうのは、ひと昔前やと落ち着いたムードとかになってたと思うねんけどなあ。って、この映画はもうふた昔以上前の映画か。わしの感覚はどうなっとるんじゃ。

リチャード・ドレイフェスの印象って、ほとんど脇役っていうイメージやなあ。ジョーズとか未知との遭遇とか。あれ? どっちもスピルバーグやな(^◎^;)。この映画でアカデミー主演男優賞をとってるけど、これ以降、主演映画ってあったっけ? わしが知らんだけか。

確かにリチャード・ドレイフェスもええねんけど、もっと印象に残るのはルーシーを演じた子役(アカデミー賞の助演女優賞にノミネートはされたみたい)。映画っていうのは、子役で決まるのかも。子供が出てくる映画はね。トム・ハンクスの「めぐり逢えたら」も、子役の男の子がよかったな。などと、子役に思いがいってしまうのであります。

映画の内容は、というと、まあ昔からあるラブストーリー&サクセスストーリーみたいなもので、何か目新しいことがあるわけでもないねんけどなあ。そこここに出てくる台詞回しとかが、演劇とか映画とかに詳しかったらもっと面白いのかも。それがニール・サイモン(脚本)の楽しみかたなのか。でも、そういう予備知識とかなかったら、面白さも半減かも。シェイクスピアとかね。

ほんで、あれはハッピー・エンドと呼んでいいのかどうか。雨の中出かけていく男。それを見送る女。きっと帰ってくると、今度はホントに信じてる。信じることができる嬉しさ。それだけで良いのか。アメリカっていうところは、楽観的やなあ。ええ時代やったと言うべきか。

(2004/9/11)

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ザ・シークレット・サービス(1993年:アメリカ)

ベテランのシークレット・サービスが、暗殺者から大統領を守ろうとする。ベテラン刑事にクリント・イーストウッド。暗殺者にジョン・マルコビッチ。

どうせ、「間一髪」で大統領は助かるんやろうっていう予想はつくし、ベテラン刑事に対する若手の風当たりとかが強くて、反発を買うけれど、結局はベテランの経験とカンが生きて、大統領は救われるっていうのも、ありがちなパターン。クリント・イーストウッドはあくまでもカッコよく(顔にシワは多いけれど、背筋はシャンとしてるし、はりきりすぎて息切れしてても、どっかカッコいい)、同僚の女性シークレット・サービスとよろしくなっていく。これもお決まりのパターン。

話の大筋は読めてしまって、それでもずっと観てしまったのは、ひとえにジョン・マルコビッチの殺し屋がカッコよかったから。殺し屋が「カッコイイ」とは穏やかでないけれど、映画の中ではクリント・イーストウッドを完全に食ってたな。

ベテランのシークレット・サービスに謎の人物からの挑戦状。こういうとき、映画では二パターンあって、謎の人物=身近な信頼できる人物だった。もうひとつは、全く面識のない異常者。前者はどちらかといえば映画の王道。後者は最近増えてきたパターン。ともかく「悪役」づくりに徹することが出来る。で、この悪役、ジョン・マルコビッチはその異常さにおいてまさにぴったり。その異常を、じつはCIAが作り上げたものだというおまけ付。こういう「スーパーマン」的なものが好きなのも、アメリカらしいというべきか。善人ならシュワルツェネッガー、悪人ならレクター博士か。マルコビッチのレクター博士か。観てみたかったかも。

というわけで、イーストウッドよりもマルコビッチを楽しむ映画でした。


映画の内容とは直接関係ないけど、「プラクティス」のボビー・ドネル役の俳優(ディラン・マクダーモット)が、イーストウッドの親友役で出てましたね。テレビでずっと見続けてた目で見てしまうので、どうも「弁護士が銃持って、走ってる」っていう風に見えてしまいました。テレビの仕事を長くやってると、こういう弊害が出てくるのかも。

それともうひとつ。イーストウッドの吹き替えはずっと野沢那智さんがやってるんやけど、画面の本人がここまで老齢に(失礼!)なってしまうと、声とのギャップ(べらんめえ調とか)が大きくなってくる。本人の声はすでに張りのない、逆に味のある渋い声になってる気がするねんけど。いつまでも「夕陽のガンマン」や「ダーティ・ハリー」ではないぞよ。

(2004/9/12)

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ボウリング・フォー・コロンバイン(2002年:アメリカ)

昨日、テレビでやってまして。観ましたがな。じっくりと。

去年、アカデミー賞をとりましたね。ドキュメンタリー映画賞。でも、これ、純粋なドキュメンタリーと言えるのかどうか。監督の主張がここまで前面に出てしまうとね。

たしかに、アメリカの銃社会を告発するっていう姿勢はえらいと思うけど。日本に銃がなくって(一応)よかったと思ったしなあ。
銃が出回ってるからアカンのやという一般的な問題提議だけじゃなくて、アメリカの社会構造まで踏み込んで考えたのはいい感じ。でも、それとチャールトン・ヘストンはあんまり関係ないように思えたな。

銃犯罪が頻発してることについて、「こんな見方をしたらどうや」という主張は面白い。画面のカット割りとか編集とかも凝ってて、2時間以上のドキュメンタリーを飽きさせずに最後までみせてしまううまさもあるな。

でも、はっきりいって監督が前に出すぎ。ほんまのドキュメンタリーを撮りたいねんやったら、監督はカメラの後ろに控えててもよかったはず。それをしなかったのは、純粋なドキュメンタリーとして、つまり真っ白なところから事実を積み上げて結論を引き出そうとしたのではなくて、自分の意見・主張をはっきり伝えたいがために映画を撮ったっていうことの証拠やね。それがええか悪いかは別問題として。

言いたいことをはっきり主張したいっていう思いが強くて、映画としての「あざとさ」のようなものは目についたな。小学生が射殺事件を起こした学校の校長先生にインタビューしたときは、感極まって泣き出した先生の肩をそっと抱いてるムーア監督。なんかあざとい。映画としていらないシーン。
ディックなんとかいう、レストランのオーナーにインタビューした(車に乗って移動する間際を)ところなんか、話を打ち切られて「なんてやつだ」なんていうムーア監督は、別にみたくない。そこまでやらんでも伝わるものは伝わるのに。やりすぎは下品。

一緒に観てたぶたこが、最後のヘストンとのインタビューが終わったあと、そそくさと歩いていくヘストンの後ろから「この写真を見てください!」と、射殺された女の子の写真を掲げるムーア監督が、わざとらしくて一番いややったと言うてたな。さすがぶたこ。というのは、よー考えたらあのシーン。去っていくヘストンと写真を掲げるムーア監督を同時に撮影するのは絶対無理。ということは、別々に撮ったシーンを編集したってことやね。そこまでやるか。

(2004/9/17)

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バージニア・ウルフなんかこわくない(1966年:アメリカ)

1966年のアメリカ映画。DVDで見まして。いやあ、こわい映画やったわ。「こわい」というのにはいろんな意味があるけど、見てるうちに何が何やらわけが分からんようになってしまう、こんな映画は初めてかも。

この映画を最初に知ったのは、ローレンス・オリビエとマイケル・ケインが主演した「探偵−スルース−」という映画で、映画についてオリビエが語った言葉の中に「いわば男だけで演じる『バージニア・ウルフなんかこわくない』だ」っていうのがあった。なんじゃそら。「バージニア・ウルフ」。当時はそれが作家の名前やとも知らんかった。
で、この「探偵−スルース−」は、めちゃめちゃ面白かった。どんでん返しに次ぐどんでん返し。こんな映画に例えられる「バージニア・ウルフ・・・」って、どんなんなんやろうか。

と思いつつ、見る機会は全然なかった。テレビでもやってくれへんし。そうこうしているうちに30年(!)。ついに見れましたがな。主演がエリザベス・テーラー、リチャード・バートンやというのも、ツタヤでDVDのカバーを見て初めて知った。わしの映画好きもええかげんなもんやな。

出て来るのは2組の夫婦。ほとんどその4人のみ。しかもずっと喋りっぱなし。ずっとお酒飲んでるし。4人とも。
題名もそうやけど、シャレとかジョークとか、その他いろんな仕掛けが言葉の中にあるみたいで、全部はわからへんけど、字幕でよかったと思ったわ。

こういうのは、純粋なスリラーとはいわへんのやろな。誰かが殺されるわけやないし。犯人あてでもない。謎を解いていく、解かれていくスリルというか、そういうのはあるけど。
舞台劇のような緊迫感。意外な展開。奥行きのある白黒の画面。この時代の白黒映画ってきれいやなあ。どこまでがほんまで、どこからがつくりものなのか分からなくなって来る話の展開。いやあ、恐れ入りました。終わってからも、「ほんまは、どうやってんやろ?」っていう思いが残る。これって、この映画の作家の思う壷にはまったってことか。こういう壷やったらはまっても悔いはないな。

派手なドンパチもCGも恐怖シーンも流血もないけど、こころにずしっとくる映画。こういう映画を作ってたんやな。昔のアメリカは。

(2004/9/24)

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アニー・ホール(1977年:アメリカ)

京都テレビで放送してまして。ときどきええ映画をやるんですな。このローカル局。
「アニー・ホール」は1977年の映画。監督、脚本、主演。共演はダイアン・キートン。この年のアカデミー賞の監督賞、脚本賞、主演女優賞を受賞してます。

とにかくウディ・アレンがしゃべりまくる。のべつまくなしに喋ってる。このひと、もともとスタンド・コメディをやってたのかしらん。よく知らんねんけど。この映画でもコメディアン役。
昔々、まだコメディしかやってないころのウディの映画を見たな。題名も忘れたけど。ひどい映画やった。なんというか、コメディの質がね。皮肉と下ネタと加虐ネタだらけで。一部では人気があって、「チャップリンの再来」とか呼ばれたな。いまでもそう呼ばれているのか。

映画のストーリーの展開や映像の斬新さには感心するけど、ひとつひとつのエピソードとかが、どうも昔のコメディ調。よくテレビのコメディで使うような手とチャウのん、と思ってしまう。それを切れ目なく見せてしまうところが、うまいっちゃあうまいねんけど。特に、ラストシーンは、ちょっとジンときてしまったな。アレ? いつのまにか感心してる(^◎^;)。ここらへんがこの映画の魅力なのか。ウディ・アレンのうまさなのか。
ダイアン・キートンも、きれいやけど、主演女優賞をとるほどの演技かいな。そんなに強い印象がないねんけど。あ、それって、撮影の仕方によるのかも。アップが少なかったもんなあ。この映画。

こまごました時間の切り貼り。時間も場所もあっちいったりこっちいったり。こういう手法はキライやないけど。でも、ちょっと教育テレビの「歴史なんとか」とかに通じるものもある。そういえば、全体にドキュメントタッチの映像も多かったな。アップが少ないのも含めて。
なんというか、そんなこんながごちゃ混ぜになったような映画。でもバラバラ感はないな。それもウディ・アレンの手腕か。このごちゃ混ぜ感がいいのかも。そういえばニューヨークっていうところがごちゃ混ぜやもんな。

テレビでは二ヶ国語放送で。英語が堪能でないので日本語吹き替えで見ててんけど。ウディの吹き替え(羽佐間道夫さん?)は、ちょっとひどい。というか、ウディに合ってない。もっとうだつの上がれへん、神経質そうな声優はおれへんかったんかイナ。たぶん、この早口のセリフ(たぶん英語でも)に対応できる声優がそれほどはいないってことかな。
それと、途中で喋ってることと考えてることが違うっていうシーンがあって、英語の字幕が心の声としてでるんやけど、最初、何のことか分からんかったわ。ぶたこに言われて分かった。日本語吹き替えで英語の字幕が出てきたら、フランス語とかになったんか、などと思ってしまった。こういうときは日本語の字幕も出して欲しいよな。

なんてことも含めて、この映画をほんまに楽しめるのは、相当な英語の理解力がある人と言うことになりそうな気がした。

(2004/10/4)

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ハリー・ポッターと賢者の石(2001年:アメリカ)

本じゃなくて映画の方ね。だいぶ前にテレビで放映したのを(第3作の「アズガバンの囚人」の公開直前)録画していたのをやっと観たってことで。
原作も読んで、だいたいの話の筋も分かってるので原語(!)で観てみた。アメリカ映画やねんけど、発音はイギリス風。わしより英語に堪能なはずのぶたこも「よー分からん(-oo-)」という発音が。でもこういう古風な(魔法とか魔法使いは、それだけで古風や)映画には、イギリス英語って合ってるような気がしたなあ。

ほぼ原作どおりというつくりは、細部にもなかなか凝っていて、観ていて飽きひんかったな。CGも、この程度やったら許せるかなっていう範囲やね。アニメチックな(それも外国のアニメ)場面もあったけど。わしの趣味でいうと、「ロード・オブ・ザ・リング」より観やすかったな。

なにより、原作を読んでわくわくした場面が、現実に(現実とちゃうけど)目の前に繰り広げられるのは圧巻やったな。それは「ロード・オブ・ザ・リング」も一緒やねんけど、なんといっても「ノスタルジー」がありますがな。古い建物ばっかりやし。多分、現実にもありそうで面白いんやろな。中世の商店街とかね。どこまでもイギリスイギリスしてて、これがアメリカ映画やとは思われへんくらい。
結末も知ってるねんけど。テーマ・パークの乗り物に乗るような感覚で楽しんでしまった。そう何回も見たいとは思えへんけど。長いし。
主役のラドクリフ君は、イメージにぴったりやけど、演技のほうはまだまだかな。特にCGと絡むところなんかはね。

ちょっとだけ吹き替えで観てみたけど、意味がよくわからへんかってもやっぱり原語の方がいいね。子供の吹き替えって難しいよね。子供だけやなくて、悪役(?)のスネイプ先生の語り口調とかは、英語で聞くと恐ろしいというより、格調高いって感じがした。

(2004/10/6)

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HERO−英雄−(2002年:中国)

10月10日、テレビでやってましたな。全米でも1位になったというので、観てみました。
いやあ、きれいなものを見せてもらったわ。月並みな言い方やけど、一つ一つのシーンが「絵」になってる。どのシーンを取り出しても「絵」になりそう。それだけ監督がこだわったんやろなあ。

話の内容は、秦王(後の秦の始皇帝)のもとに、ひとりの男が謁見するところから始まって。その男、秦王を狙う3人の刺客を倒して、その報告に来たという。その顛末を話し出すが、実は・・・。という話。話し手の、話の内容が二転三転して、それぞれの場面を再現するところは、「羅生門」にも似ている。実はどうなんや?というサスペンス。でもサスペンスの要素はやや薄いかな。

「東洋のマトリックス」とかいう宣伝文句があったらしいけど、そんなものと比べてはいかんなあ。あちらは「アクションのためのアクション」のような映画やった。「いかにワイヤーアクションの醍醐味を見せるか」みたいなね。でも「HERO」はほとんど「舞い」の世界ですな。はでなアクションを期待する向きには不満があるかもしれへんけど、あの殺陣の美しさは、アクションという言葉で片付けてはいかんような気がする。
京劇の殺陣に通じるものがあって、「迫力」とか「迫真の」とかいうのとはまったく逆の、「様式美」のようなものが全編を貫いてたな。それは殺陣だけじゃなくてね。
「そんなことは出来るわけがないやろう」というような殺陣もあるんやけど、それが許されるのが中国の歴史劇のいいところかも。たとえば歌舞伎の舞台に黒衣が出て来るのと同じように、「そういうこともあるんや」という目で観ると、映画の中に入っていける。

それに、なんといっても「間」がたまらん。台詞も少ないし。役者が何もしゃべらず、じっとしてる場面も多い。その美しさ!
それからいうと、主演のジェット・りーは、顔がきれいすぎて役にはまり切ってないような気がする。女剣士のマギー・チャンが、ぴったりはまりすぎてただけに、よけいに。

それと、こういうことが、昔昔の中国には実際にあったんとちゃうか、実際にこういう剣士がおったんとちゃうかと思わせるところもあるな。なにしろ歴史が長いんやから。「妖術」とか出来る人間がほんまに居ったかもしれんしな。
そこが中国映画のすごいところで、ハリウッドがこういう荒唐無稽とも思える話をつくろうとすると、どうしたって「マトリックス」みたいなSFか、「ロード・オブ・ザ・リング」みたいなファンタジーに落ち着いてしまう。というかそういう題材でないと到底出来ないやろけど、中国は「歴史劇」に無理やり入れてしまうことが出来るねんなあ。

考えてみたら日本かて、「歌舞伎」や「能」といった、独自の伝統芸能が(しかも長い歴史がある)あるから、こういう映画が出来そうな気がするねんけど。あ、時代劇がそれに近いか。忍者とか。

(2004/10/11)

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ラブ・オブ・ザ・ゲーム(1999年:アメリカ)

ケビン・コスナー主演の野球映画。引退間近の名投手が、シーズン最後の試合で完全試合をめざす。
ケビン・コスナーの映画は出来るだけ観いひんようにしてるんですが。字幕スーパーっていうことで、ぶたこの英語の勉強もあって観てみたんです。

ケビン・コスナーの映画がどうして嫌かっていうと、どうしたって彼が一番かっこよく映されてしまうねんなあ。どういうわけか、それが鼻をつくくらいなんですね。普通にかっこええだけやったらどうってことはないんですけど。
この映画でも「なんでここでアップ?」とか「なんでここでスロー?」っていう映し方が多くって、どうもいけません。

さらに、音楽もいけませんな。しょっちゅう音楽が変わって、まるでMTVを何本も観ているような気になって来る。こういうの、最近の映画に多いような気がするんですが。なんとかならんもんでしょうかねえ。

(2004/10/17)

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TRICKトリック−劇場版−(2002年:日本)

ドラマの【トリック】は面白かったな。いろんな仕掛けというか、オタクっぽいところがあって。
その期待を持って観たんですけど、どうもいけませんな。もともと1時間番組のドラマが3〜4週で完結するものを、2時間で収めるのに無理があるのかも。キャラクターの設定もちょっと中途半端のような気がしましたね。竹中直人もベンガルも面白いキャラクターやのに、十分に生かしきってないような。
テレビやったら細かい設定とか細かいセットとかが生きてくるんやけど、それもなかったですね。映画になって大味になってしまったような。

つまりはこの話、テレビ向きであって映画向きではないってことですかね。そういうドラマもあるんやということがわかって勉強になりましたけど。

(2004/10/18)

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