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映画の部屋


【めぐりあう時間たち】(2002年・アメリカ)
【たそがれ清兵衛】(2002年・松竹)

たそがれ清兵衛(2002年・松竹)

日本映画も頑張っているのだ

去年(2006年)の年末に、ノーカットでテレビ放映された。アメリカ・アカデミー賞でも「Twilight Samurai」という題名で(なんというぴったりとした英訳)外国映画賞にノミネートされている。

江戸末期、城勤めの侍清兵衛は、妻の死後、ボケはじめた母親と二人の娘を育てながら暮らしている。暮らしは逼迫しており(妻の葬儀にお金をかけすぎた)、同僚と飲みに行くことさえしないし、着ているものも着た切り雀というありさま。
ある時、友人の妹が離縁した元夫に付きまとわれていると聞き、その男を木刀で打ち負かす。やがて妹は清兵衛の家に足繁く通うようになる。
やがて藩主が急死し、藩内は騒然となり、そして清兵衛は小太刀の腕を買われて刺客の命を受けるのだが。

平穏な暮らしをしたいのに、否応なく血なまぐさい仕事を引き受けなければならない(その上自らの命を危険にさらすはめになる)侍の悲しさ。時代の苦しさのようなものが前面に出ていて、ああ山田洋次だなあと思ったな。でも今まで見た山田作品のような説教臭さや説明臭さがなく、とっても気持ちよく見れた。
なにしろ主役の真田広之がいい。物静かで平穏を望み(やや厭世的なところもあるけれど)、内気で家族思い、しかも古いしきたりにはやや懐疑的になっている(それが厭世的とも感じられるんだけれど)清兵衛を演じきってすばらしい。
さらに共演の宮沢りえが、かわいいけれどしっかりしていて、気も強い女性を、これもすばらしい演技で演じていたなあ。刺客に出かける清兵衛を見送ったあとの涙には、こちらも涙してしまったよ。

山田洋次監督の初の時代劇なんだそうだけど、この監督、現代劇よりも時代劇の方が合ってるんじゃないかと思うぐらい、ぴたっとはまった映像だと思う。
もっとこういう映画を観たい、と思ったら、これが時代劇3部作の1作目なのだと。他のも見たくなる。

毎年年末になったら(年始も含めて)映画をノーカットで放送してくれたりするんだけれど、最近は洋画ばっかりではなくてこういう邦画もやってくれて、それがなかなかよかったりするんだなあ。
この映画もアカデミー賞にノミネートされるくらいの映画だし。そういうことって今まであんまりなかったよなあ。日本映画もよくなってきているのかも。


この年末年始、かためて映画を観ている。といっても古い映画ばっかり。つまりはDVDで買ってきたもの+テレビで放映されたものなんだけど。それでも映画はやっぱり楽しい。

(2007/1/2)

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めぐりあう時間たち(2002年・アメリカ)

見る度に違って見える映画

年末年始にいっぱい映画を観て(DVDとかテレビ放映とかだけど)、その感想を順繰りに書いていこうと思っていたのだが、それは全部すっ飛ばして(いつか書くだろうけど)昨日観たこの映画のことを書きたくなった。それぐらい心にズシンとくる映画だ。

感動したとか面白かったとかなんていう言葉よりも、「ズシンときた」という表現がぴったりくる映画だ。悲しくて涙を流すとかいうこともないし、お腹を抱えて笑うこともないけれど、本当に心にくる。心臓の深いところに熱波を受けるような感じ。
うまく言えないなあ。

3つの時代の3人の女性の、それぞれの1日の物語。「ダロウェイ夫人」を書こうとしているヴァージニア・ウルフ、夫の誕生日の準備をするローラ、エイズの友人の書いた作品の、受賞記念パーティーを開くクラリッサ。
「ダロウェイ夫人」をキーワードに3つの時を自在に行き来する映像。そしてそれぞれの人生(というか1日)。

最初、劇場で公開されたときに観たのだ。そのときも映像の見事さ、物語の見事さに「ズシン」ときたのだった。なんというか、一種「完璧なものを観た」という印象。
どこがどう完璧なのか、は説明しづらい。なにしろ話がややこしい。
いきなりヴァージニア・ウルフが入水自殺するシーンから始まるんだけど(これが1941年)、画面はいきなり1951年のロスに移り、「ダロウェイ夫人」を読んでいるローラになり、またまたいきなり2001年のニューヨークに移って、ベッドから起きるクラリッサ。そしてまた1928年のイギリスに場面は変わって、ヴァージニア・ウルフが目を覚ます。この時点ではなにがなにやら、なのだな。
そして「ダロウェイ夫人」の冒頭の一節、
「花は自分が買いに行くわとダロウェイ夫人は言った」
で、やっと、ああこの物語は「ダロウェイ夫人」を軸に回るのか、と分かるのだ。

分かる、っていったけど、ほんとに分かってるのかどうか、はもっと後にならないと分からないのだな、実は。
話がややこしくなってくるので、あらすじについてはこれくらいで。

最初劇場で見たときは、この話はちょっとSF的というか、ヴァージニア・ウルフの書いた「ダロウェイ夫人」が、後の世の誰かの人生に影響を与えていく(それも何世代かに渡って)という不思議な力を持っていたのではないかという、そういう話しにとれたのだな。
ローラもクラリッサも、なぜ自分の生き方を模索して、そして悩みの中にいたのか、それは「ダロウェイ夫人」のせいだったのかも。
そして「ダロウェイ夫人」を書いたヴァージニア・ウルフも、その同じ悩みの中にいたのだ。だから後の世に影響を与えるような物語が書けたのだ。
しかしそれは同時に、彼女の正常な感覚を越えることで、そのために彼女は・・・。などと考えるのは、あまりにも想像の飛躍が過ぎるかも。

そして。DVDで改めて観たら、全く違った物語が浮かび上がってきた。それぞれの人生の物語。3人の女性のそれぞれの苦悩。ここは自分の生きる場所なのか。これが自分の人生なのかという不安。
それが時代を越えた命題であって、いつの時代にも、誰にでもある問いかけなのだという、その真理を追いかけているような。どこまでも追いかけているような。
そしてそれぞれの時代で、支えあっているものがいる。それがどこか悲しいような。

ううむ。なんともまとまりのないことになってしまったなあ。とにかくこの映画は、僕が今まで見た映画の中でもトップクラスに入るくらいに心に残る映画なのだ。その結末の不思議さや、物語の悲しさを含めても。
そして、観る度に違う印象を受ける。というか、観るところが色々変わってくるのだなあ。これからも何度か観る機会はあるのだろう。何回か観たいと思ったな。その度にまた、感動の種類が変わってくるのだろう。

言い忘れていたけれど、この音楽がとってもいい。フィリップ・グラスお得意のミニマムミュージックなんだけど、それが心の不安(とともに、ある種の希望)をかき立てていくようで。

(2007/2/11)

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